セラ(Richard Serra)(読み)せら(英語表記)Richard Serra

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

セラ(Richard Serra)
せら
Richard Serra
(1939― )

アメリカの彫刻家。サンフランシスコ生まれ。素材感をむき出しにした鉄を使った巨大な作品で知られる。はじめはカリフォルニア大学で、後にエール大学の美術・建築学部で絵画を学ぶ。一方幼少期から親しんでいた鉄工場でのアルバイトに励み、後の鉄の彫刻の制作に必要な知識は、そこで身につけたという。

 鉄で巨大な作品をつくること自体がセラの目的ではなかった。そのことは彼の初期の作品を見ればよくわかる。1966年にローマ画廊で開いた最初の個展で、生きたウサギなどの動物を展示している。そしてその後の数年間も、そのつど多様な素材を用いた作品を制作しているのである。たとえばニューヨークに移った66年から67年にかけての作品では、ゴムのベルトを使ったり、それとネオン管との組み合わせを試みたりしている(『ベルト』)。また68年には火を灯したろうそくを床に並べた作品『キャンドル・ピース』を制作。さらに同年、英語の動詞を羅列したテキストによる作品『動詞のリスト:1967―68年』や、落下してくる鉛の塊を手で掴(つか)もうとする様子をクローズ・アップで収めた映像作品『鉛を掴む手』なども制作している。

 その後69年ごろにかけて、セラの作品にはしだいに鉛や鉄など金属を素材とした作品が増えてくる。だがはじめはそれも、薄く伸ばされた鉛の板を巻き取って作品とした『巻かれた35フィートの鉛』(1968)、また壁と床の境目に融かした鉛をまいた『まき散らし』(1969)といったものだった。つまり時間とともに短くなってゆくろうそくや、行為や動作を表す動詞、あるいは鉛を掴もうとすることと同じように、できあがったものよりも巻き取る、まき散らすなどの行為、あるいは制作の過程が重視され、セラはプロセス・アートの作家と位置づけられた。

 しかしセラの名を有名にしたのは、鉄による彫刻作品、それも未加工の巨大な鉄の板や塊を、彫刻のスケールを超えて置くそれである。74年の『観測地点』は、屋外に高さ40フィート(約12メートル)、幅10フィートの鉄板を3枚、互いにもたせかけて立てただけの巨大な塔のような作品だった。また屋内の作品でも、広い部屋の床と天上に10フィート×26フィートの鉄板を1枚ずつ、互いに90度回転させて貼りつける『縁取るもの』(1974~75)のような作品が制作される。この二つはどちらも、彫刻のように見るべき物体が一つ眼前にある、といったものではない。いわば鑑賞者もその中に含む「環境」を、まるごと一つつくり上げたのである。

 美術批評家ロザリンド・クラウスは、こうしたセラの作品について、鑑賞者はけっしてその安定した全体像を得ることができず、自身の視覚が分裂してゆくのを経験するだろう(90度ひねって置かれた巨大な2枚の鉄板に、観客になったつもりで上下から挟まれる体験を想像してみよう)、と論じている。セラはまた、そうした作品の制作にあたってスケッチを起こすことはなく、まず小さな板などの部品をいくつか用意し、それを砂を敷いたところであれこれと組み立てることで、作品の構想を練るという。つまりここでもセラが関心を寄せているのは、完成した作品の全体像よりも、それが組み立てられる過程なのである。

 こうした巨大なスケールを伴うセラの作品が、とりわけ公共の場に置かれるとき、それは議論の的となる。ニューヨークの連邦ビル前広場に設置された作品『傾いた弧』(1981)は、巨大な1枚の鉄板をかすかにカーブさせて置くことで、広場の風景を一変させるという作品だったが、歩行者の安全と美観の問題から89年に撤去された。このとき巻き起こった作品の存続をめぐる激しい論争は、公共の利益と芸術家の表現の両立(あるいは対立)について考えるうえで、重要なモデルとなった。

[林 卓行]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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