セミョーノフ
セミョーノフ
Semenov(Semenoff), Nikolai Nikolaevich
ロシアの物理化学者.1917年ペトログラード大学卒業.1920年レニングラード物理工学研究所に勤務したのち,1931年ソ連科学アカデミー化学物理研究所所長.1932年ソ連科学アカデミー正会員となり,1944年からモスクワ国立大学教授も兼任し,ソ連科学アカデミー副総裁も務めた(1963~1971年).旧ソ連での化学物理学を創始し,多くの後継者を育てた.爆発反応で熱爆発のほか連鎖爆発が存在することを提唱し,実験的に証明した(1927~1928年).さらに分枝型と非分枝型の連鎖反応の一般理論をつくった.これらの研究で,1956年イギリスのS.C.N. Hinshelwood(ヒンシェルウッド)とともにノーベル化学賞を受賞.その後も,多数の連鎖反応,ラジカル反応の反応機構を解明した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
セミョーノフ
[一] (Grjegorij Mihajlovič Sjemjonov グレゴリー=ミハイロビチ━) ロシアの
コサック将校。ザバイカル(バイカル湖東岸地域)出身。
十月革命後、反革命軍を
組織。日本の
支持で一九一八年五月ザバイカル軍事政府を
樹立。
亡命後も反ソ活動を続け、
満州事変などに関係した。(
一八九〇‐一九四六)
[二] (Nikolaj Nikolajevič Sjemjonov ニコライ=ニコラエビチ━) ソ連の化学者。モスクワ大学教授。気体の爆発反応における連鎖機構の理論を確立。一九五六年ノーベル化学賞受賞。主著「化学動力学と連鎖反応」。(一八九六‐一九八六)
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セミョーノフ
Semënov, Nikolai Nikolaevich
[生]1896.4.15. サラトフ
[没]1986.9.25.
ソ連の化学者。ペトログラード大学卒業後,レニングラード工科大学教授 (1928) ,ソ連科学アカデミー会員 (32) 。 35年モスクワの化学物理学研究所所長に就任。 44年にはモスクワ大学教授を兼任。反応速度論,特に爆発反応での連鎖機構の理論,混合気体での爆発限界の存在の発見などで著名。 1956年 C.ヒンシェルウッドとともにノーベル化学賞を受賞。 63年科学アカデミー副総裁。
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セミョーノフ Semyonov, Grigory Mikhaylovich
1890-1946 ロシアのコサック軍人。
シベリアに出兵した日本軍の支援で,1918年生地東シベリアのザバイカルに反革命政権をたてる。1920年政権崩壊後,満州(中国東北部)に亡命。1945年ソ連軍によって逮捕され翌年処刑された。56歳。
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百科事典マイペディア
「セミョーノフ」の意味・わかりやすい解説
セミョーノフ
極東で活動したロシアの軍人。十月革命後反革命軍を組織,日本の支持を得て1918年ザバイカル政府を樹立。1920年革命軍に追われて亡命後も満州で活動したが,第2次大戦後ソ連軍により処刑された。
セミョーノフ
旧ソ連の化学者。1917年レニングラード大学卒。1944年モスクワ大学教授。気相系の化学反応速度論,特に連鎖反応に関する研究で1956年ヒンシェルウッドとともにノーベル化学賞。
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デジタル大辞泉
「セミョーノフ」の意味・読み・例文・類語
セミョーノフ(Nikolay Nikolaevich Semyonov)
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セミョーノフ【Grigorii Mikhailovich Semyonov】
1890‐1946
ロシアの反革命派の軍人。ザバイカルのコサックの出身で,一等大尉。ロシア革命直後,〈満州特別部隊〉と称する白衛軍組織を編成してザバイカル州の革命勢力と対決した。その活動に着目した日本の参謀本部は武器と資金を提供し,軍事顧問団を派遣するなど,密接な関係をもった。1918年8月に連合国の本格的なシベリア軍事干渉が開始されると,日本軍の支援のもとにザバイカル州に反革命地方政権を樹立し,州民に対して苛酷な軍事独裁体制をしき,他方コルチャークの反革命軍事独裁政権とも対立した。
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世界大百科事典内のセミョーノフの言及
【ロシア革命】より
…こうして反革命の主役は帝政派の軍人となった。コルチャークは沿海州で日本の支持を受けて勢力を張っていたセミョーノフをも一応指揮下におさめ,全シベリアの支配者としての地位を固めたうえで,19年3月,ウラルから西に向けて総攻撃を開始した。4月にはカザン,サマラに80kmの地点まで進出する。…
※「セミョーノフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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