スール朝(読み)すーるちょう

山川 世界史小辞典 改訂新版 「スール朝」の解説

スール朝(スールちょう)
Sūr

1539~55

インドのイスラーム王朝。アフガン系スール族のシェール・ハーンは,ビハールベンガル勢力を伸張し,1539年ムガル帝国フマーユーンを破り,シェール・シャーを名乗った。翌年デリーを占取し,フマーユーンをペルシアに敗走させ,北インドの支配権を獲得した。次の王イスラーム・シャー(在位1545~53/54)も有能であったが,彼が若死にすると後継者の間で内戦が起こり,55年フマーユーンによってデリーを奪回され,スール朝は滅亡した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スール朝」の意味・わかりやすい解説

スール朝
すーるちょう

北インドのデリーを中心に、アフガン系のスールSūr人によってつくられた王朝(1540~55)。アフガン系の諸勢力は何派にも分かれて、徐々に北インド、ガンジス平原地方に進出してきた。その一派ロディー人はデリー・サルタナットサイイド朝を滅ぼし、ロディー朝をつくった。このロディー朝は1526年ムガル帝国の創始者バーブルに滅ぼされた。その後、スール人の勢力が強大となり、シェール・シャーの指揮下にムガル帝国第2代皇帝フマーユーンを追ってデリーを占拠、スール朝をつくった。しかし、シェール・シャーの死後弱体化し、ペルシアから帰ったフマーユーンに滅ぼされた。

[小谷汪之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スール朝」の意味・わかりやすい解説

スール朝
スールちょう
Sūr

アフガン系のインド・ムスリム王朝 (1539~55) 。ムガル帝国初期,北インド地方に割拠していたアフガン系のスール族がシェール・シャーもとに勢力を伸ばし,1540年ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンを破って建設した。スール朝はシェール・シャーの死後急速に衰退し,55年フマーユーンにデリーを奪回され,滅亡した。

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世界大百科事典(旧版)内のスール朝の言及

【アクバル】より

…ムガル帝国第3代皇帝。在位1556‐1605年。父皇帝フマーユーンが玉座を追われ,インド西部を逃亡中に生まれた。フマーユーンが再び玉座にもどってまもなく死んだため,弱冠13歳で皇帝の座についた。この時点ではフマーユーンをインドから追ったスールSūr朝の残存勢力がまだ根強く,その中心となる部将にヒンドゥー教徒のヘームーHemūがおり,彼はフマーユーン死後の混乱に乗じて,一時デリー,アーグラを占領した。…

【シェール・シャー】より

…北インドのスール朝(1538‐55)の創始者。在位1538‐45年。…

※「スール朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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