スリウィジャヤ王国(読み)すりうぃじゃやおうこく

世界大百科事典(旧版)内のスリウィジャヤ王国の言及

【インドネシア】より

…4世紀末ころのクタイ(東カリマンタン)の碑文,5世紀半ばころのタルマ国(西ジャワ)碑文などの発見により,これらの場所に王国が存在したことが想定されている。その後7世紀半ばにパレンバン付近を王都として成立したスリウィジャヤ王国はマラッカ海峡を押さえ中国,インドとも交流し盛衰の波を繰り返しながら14世紀まで存在した。スリウィジャヤは仏教国で,仏教布教の一中心地を形成していた。…

【チャイヤー】より

…この碑文は775年のもので,その中にスリウィジャヤと称する王国名が含まれていた。この王国は唐代の漢籍史料が伝える室利仏逝国を指すと考えられ,チャイヤーはスリウィジャヤ王国の都の跡であろうと,おもにタイの学者によって主張され,さらに唐代の仏教僧義浄が留学したのもこのチャイヤーではないかと推定されている。この地にはワット・プラ・ボロム・タート寺,ワット・ケオ寺などの古跡が残り,また青銅製の観音像(8~9世紀)が発見され,多くの砂岩製仏陀像も残存する。…

※「スリウィジャヤ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」