スラッファ(英語表記)Sraffa, Piero

デジタル大辞泉 「スラッファ」の意味・読み・例文・類語

スラッファ(Piero Sraffa)

[1898~1983]英国の経済学者。イタリアの生まれ。マーシャル批判して不完全競争理論確立影響を及ぼし、新古典学派にかわる基礎理論を提示した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スラッファ」の意味・わかりやすい解説

スラッファ
Sraffa, Piero

[生]1898.8.5. トリノ
[没]1983.9.3. ケンブリッジ
イタリアの経済学者。 1920年トリノ大学を卒業し,ペルージア大学,カリアリ大学経済学教授を歴任。 25年に発表した論文を修正した『競争的条件のもとにおける収益法則』 The laws of returns under competitive conditions (1926) で A.マーシャル批判を行う。 J.M.ケインズ招聘により 27年以降ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのフェロー,63年以降名誉講師。在職中,ケインズ,D.ロバートソン,J.V.ロビンソン,N.カルドア,M.ドッブらの経済学者はもとより,L.ウィトゲンシュタイン哲学にも影響を与えた。彼の研究は,(1) ドッブの協力を得て編集した『リカード全集』 The Works and Correspondence of D.Ricardo (11巻,1951~73) に象徴される古典派経済学の理論的復興,(2) リカードおよび K.マルクスの価値と分配の理論に含まれる困難の克服解明,(3) 新古典派経済学の限界理論に対する批判,の3面で評価され,ケンブリッジ資本論争以後の経済理論の再編に大きな足跡を残した (→ケンブリッジ革命 ) 。また,トリノ大学在学中に革命家 A.グラムシと知合い,グラムシが投獄されて以降援助を続けた。著作『商品の商品による生産』 Production of Commodities by means of Commodities (60) がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「スラッファ」の意味・わかりやすい解説

スラッファ
Piero Sraffa
生没年:1898-1983

経済学者。イタリアのトリノに生まれ,トリノ大学に学び,そこでグラムシを知り,生涯の友人の一人となる。青年時代,社会主義運動に携わったが,1925年にイタリア語で公表されたマーシャルの価格論に対する批判論文で高い評価を受け,27年ケインズによりケンブリッジ大学に招かれ,キングズ・カレッジからトリニティ・カレッジに移り,そこでフェローに選任された。マーシャル図書館の館長を長期間つとめる。彼は第1に,第2次大戦後公刊されたほぼ完全な《リカード全集》(1951-73)の編集者であり,現代のリカード研究の第一人者でもある。第2に,ケンブリッジ学派の不完全競争論の開拓者としての地位をかちえた。しかし,60年公刊の《商品による商品の生産》こそは,現代の厳密な分析用具によって構築された古典派経済学の核心部分の〈現代版〉で,同時に新古典派の価値と分配の理論の批判を意図したライフワークである。
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百科事典マイペディア 「スラッファ」の意味・わかりやすい解説

スラッファ

イタリア生れの経済学者。グラムシの友人。マーシャルの価格論に対する批判論文で一躍有名になる。1927年ケインズによりケンブリッジ大学に招かれ,ケンブリッジ学派の不完全競争論を開拓。主著に《商品による商品の生産》など。また,彼の編集になる《リカード全集》も有名で,多くの未発表・未公刊の文献を含むほか,彼の研究は伝統的なリカード評価を覆すものと評価される。

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367日誕生日大事典 「スラッファ」の解説

スラッファ

生年月日:1898年8月5日
イタリア生まれの経済学者
1983年没

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世界大百科事典(旧版)内のスラッファの言及

【経済学および課税の原理】より

…投下労働価値論と関係する不変の価値尺度の問題はリカードの終生の問題であったが,21年の第3版では,その点が修正されるとともに,有名な〈機械について〉という第31章が付加された。彼の不変の価値尺度論は,今日P.スラッファの《商品による商品の生産》(1960)における〈標準商品〉論として新展開をみせている。本書は,1921年和田佐一郎,堀経夫の2抄訳が生まれ,28年小泉信三,堀経夫の2全訳が刊行された。…

【経済学説史】より

…イギリスのM.ドッブやR.ミーク,アメリカのP.スウィージーといったすぐれたマルクス経済学者は例外的で,孤立的な点在にとどまっていた。しかしP.スラッファの《商品による商品の生産》(1960)に始まる新リカード学派の台頭による新古典派理論の威信の低下,南の諸国の急進的革命運動に理論的基礎を与えようとするA.G.フランクやS.アミンらの新従属学派(従属論)の登場,さらに社会思想や政治運動の内部に広がる欧米のマルクス・ルネサンスの波などを介して,1970年代以降欧米にマルクス経済学の再生運動が広がり,かなりの数のマルクス経済学者の層が形成され定着してきている。 その基礎理論における関心は,まず転化問題から価値論にむけられた。…

【新古典派経済学】より

…またソローRobert Merton Solow(1924‐ )は,価格機構に導かれて生産における要素間の代替がスムーズに起こり,さらに貯蓄と投資の均等ももたらされるとする新古典派経済成長モデルを提示し,経済が自然的成長率経路へ安定的に収束する姿を描いてみせた(新古典派的成長理論)。 これに対して,J.ロビンソン,N.カルドア,P.スラッファ,L.パシネッティらのポスト・ケインズ派(ポスト・ケインジアン)は新古典派に対する強力な批判を展開した。彼らの批判は,異質資本財を集計した新古典派の資本の概念を否定し,それと労働とのなめらかな代替を仮定するマクロの生産関数を否定し,利子率と資本集約度との一元的関係を否定することに向けられた(資本論争)。…

※「スラッファ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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