日本大百科全書(ニッポニカ) 「スミッソン」の意味・わかりやすい解説
スミッソン
すみっそん
Robert Smithson
(1938―1973)
アメリカの美術家。アースワーク(ランド・アート)を代表する一人。ニュー・ジャージー州に生まれる。少年のころから化石や鉱物、貝殻などを探して山や水辺を歩くのが好きだったという。1955~1956年、ニューヨークの美術学校アート・スチューデンツ・リーグに通う。初めは絵画を制作しており、1959年の初個展では絵画作品を発表した。1950年代の末から1960年代初頭のニューヨークといえば、フランク・ステラやドナルド・ジャッドといったミニマル・アートの作家たちがデビューし始めた時期であり、スミッソンもそのサークルに加わる。1960年代なかばから末にかけて単純な幾何形態にもとづく立体作品を発表。あきらかにミニマル・アートの影響下にある作品とはいえ、だんだん小さくなる相似形を繰り返し積み上げてゆくところには、鉱物や貝殻など自然界のものがもつ秩序に対するスミッソンの関心も見て取れる。
その後1968年ごろから積極的に野外で制作するようになる。12枚の正方形の鏡を、藪(やぶ)の中、砂利の中に埋めるなどさまざまな状況に置き、それを写真に撮る『鏡への入射:ユカタンの旅』や、鉱山の崖の上からダンプいっぱいに積んだアスファルトを垂れ流す『アスファルトの落下』(ともに1969)など、「アースワーク」の作品の制作が始まる。これらは、ありのままの自然の美しさを作品にするというよりは、自然の中にもち込まれた鏡やアスファルトのような「異物」が、自然の抗(あらが)いがたい力によって飲み込まれてゆこうとするようすをとらえた作品ということができる。スミッソンは自然のそうした作用に強くひかれており、この作用を「エントロピーの増大」とよんで賛美した。
スミッソンはまた制作と並行して、自作の解説だけでなく当時の芸術の状況に関する批評など、多数の文章を執筆してもいる。また1968年にニューヨークの画廊で、「アースワークス」と題した展覧会を企画をしたのはほかならぬスミッソンである。この展覧会タイトルはあるSF小説のタイトルからとられており、それは土さえもが貴重な商品としてやりとりされる、近未来社会の悲惨を描いたものだった。
スミッソンのアースワークに対する考え方で重要なのは、「サイト」(場)と「ノン・サイト」(非―場)の対概念である。スミッソンは、屋外での作品を「サイト」の作品とする一方、砂や鏡で構成された美術館やギャラリーでの作品を「ノン・サイト」の作品とした。美術館やギャラリーは本来自分の芸術のあるべき「場」ではないというかのようだが、スミッソンの真意は、「サイト」と「ノン・サイト」という二つの「場」を衝突させ、結果としてそのどちらでもない、芸術のための第三の「場」(の概念)を構築することにあった。そうした考え方は、『ノン・サイト』と題されたいくつかの作品(1968ほか)が、ある場所からもってきた石などの素材とその場所の写真を、それぞれ床と壁に対比的に置いたものであることからもわかる。
1970年には代表作『螺旋(らせん)形の突堤』が完成。ユタ州グレート・ソルト・レークの湖岸に岩石などでつくられた全長約450メートルにもおよぶ巨大な螺旋は、同時代のアースワークの記念碑的な作例ともなった。だが1973年、自作『アマリロ・ランプ』(1973、テキサス州)を空撮中に搭乗していた飛行機が墜落、あとには数多くの未完のプロジェクトが遺(のこ)された。
[林 卓行]