スミス(Jimmy Smith)(読み)すみす(英語表記)Jimmy Smith

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

スミス(Jimmy Smith)
すみす
Jimmy Smith
(1928―2005)

アメリカのジャズオルガン奏者。本名ジェームズ・オスカー・スミスJames Oscar Smith。ペンシルベニア州ピアニストの両親の間に生まれる。幼児期からピアノに親しみ9歳で天才児といわれるほど上達し、アマチュアコンテストで優勝している。海軍を除隊した1948年フィラデルフィアのハミルトン音楽学校に入学、このときはベースを学んでいる。翌49年から50年にかけ同市のオースティン音楽学校で正規にピアノを習得。52年ドラム奏者ドン・ガードナーDon Gardnerのバンドに参加。

 1953年ジャズにおけるオルガン演奏の雛型(ひながた)をつくりあげたといわれるワイルド・ビル・デービスWild Bill Davis(1918―95)の演奏に影響されオルガン奏者に転向し、ニューヨークのクラブ「スモールズ・パラダイス」や「カフェ・ボヘミア」に出演する。55年、短期間ながらテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーン共演。56年、ブルーノートレーベルの名プロデューサー、アルフレッド・ライオンAlfred Lion(1908―87)に見込まれ、初リーダー作『ア・ニュー・サウンド・ア・ニュー・スター』を録音。57年から同レーベル専属ミュージシャンとなり以後62年までに30枚を超すアルバムを吹き込み、ブルーノート・レーベルの看板スターの地位を得た。この時期のスミスの演奏はモダン・ジャズ・ピアノの開祖バド・パウエルの影響を強く受けたスタイルで、オルガンにおけるモダン奏法を確立させた。ブルーノート時代の共演ミュージシャンには、アルト・サックス奏者のルー・ドナルドソンLou Donaldson(1926― )、同じくアルト・サックスのジャッキー・マクリーン、トランペット奏者のリー・モーガンなどがいる。

 1962年、ブルーノート・レーベルにおける最後の年に、アルバム『ミッドナイト・スペシャル』が大ヒット、『ビルボード』Billboard誌の28位(シングル69位)というジャズとしては異例の「ホット100」入りを果たした。これはジャズ専門のレコード会社、ブルーノート・レーベルにとっては初めてのことであると同時に、オルガン・ジャズの一般的認知度が飛躍的に向上した記念すべきできごとでもあった。63年からバーブ・レコードに移籍し、オーケストラとの共演作品で大衆的人気を得る。とりわけ64年に録音された『ザ・キャット』は、同年公開されたアラン・ドロン、ジェーン・フォンダ主演、監督ルネ・クレマンによるMGM映画『危険がいっぱい』(1964)の主題曲をタイトルとしていたこともあって、ジャズ・ファンを越えた幅広い人気を博し、スミスの名声を決定的なものとした。

 エレクトリック・ジャズの流れが顕著になる1970年代は、相対的にオルガン・ジャズの地位が低下したためロサンゼルスでクラブを経営し、そこで演奏すると同時に個人レーベル「MOJO」を設立。82年に至ってギター奏者、ボーカリストのジョージ・ベンソンと共演したアルバム『オフ・ザ・トップ』Off The Topでふたたびジャズ・シーンの注目を浴びた。

[後藤雅洋]

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