スペイン文学(読み)すぺいんぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スペイン文学」の意味・わかりやすい解説

スペイン文学
すぺいんぶんがく

スペインの標準語であるカスティーリャ語=スペイン語による文学をさす。イベリア半島にやってきたローマの植民者たちがラテン語で行った文学活動や、8世紀以降にイスラム教徒やユダヤ教徒がアラビア語もしくはヘブライ語によって行った文学活動は、それぞれラテン文学、アラビア文学ヘブライ文学の一部門をなすものと考えられるので、ここでは扱わない。また、イベリア半島のラテン語は時の経過とともに、カタルーニャ語、ガリシア・ポルトガル語、カスティーリャ語に分化したので、スペイン文学といった場合、正確にはこれら三つの言語による文学活動をすべて含むわけだが、13世紀に文学の言語としての地位を確立したカスティーリャ語の場合は別として、他の言語による文学活動には一貫した歴史的展開が欠けているので、ここでは主として、カスティーリャ語=スペイン語による文学の歴史を扱う。なおスペイン語で書かれていても中南米の文学はこれに含まれない。別項の「ラテンアメリカ文学」を参照されたい。

[桑名一博]

中世

スペイン語によるもっとも古い文学作品は、ハルチャとよばれる叙情詩である。ハルチャというのは、イベリア半島にいたアラビア人やユダヤ人が好んで用いたムハシャハという詩型の末尾の数行をさすが、この部分にアラビア文字もしくはヘブライ文字に転写されたスペイン語の詩が用いられていたのである。現在までに六十数編の作品が発見されているが、その多くは愛する男の不在を嘆いたもので、切実な情感を素朴に歌い上げた佳品が少なくない。なお、そのうちの一編が1042年以前に書かれていることが判明しているので、ハルチャは近代ヨーロッパ語によるもっとも古い叙情詩ということになる。

 スペインの中世はイスラム教徒に占領された土地を取り戻す、いわゆるレコンキスタ(国土回復運動)の時代である。8世紀から15世紀末まで続くこの運動の進展に伴って何人もの英雄が誕生したが、そうした英雄たちの武勲を歌った数編の叙事詩のうちでもっとも古く、しかもいちばん完全な形で伝わっているのが、13世紀初頭につくられたと推定されている『わがシッドの歌』である。この作品は、イスラム教徒たちからシディ(アラビア語で主人の意味)とよばれていたカスティーリャ王アルフォンソ6世の家臣ロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバールが、王の不興を買って国外追放になったのち、さまざまな活躍を経てふたたび国王の信頼を得るまでを史実に従いながら描いた武勲詩で、表現は素朴ながらも力強い写実性に富んでいる。また13世紀には、賢王とよばれるアルフォンソ10世が自ら筆をとったり周辺の学者を動員したりして歴史書や法典を編集したほか、アラビア語やヘブライ語で書かれた多数の書物をスペイン語に翻訳し、東方の文化を西ヨーロッパに紹介すると同時に、スペイン語散文の確立に多大の貢献をした。

[桑名一博]

ルネサンス期

スペインにルネサンスがあったかどうかはしばしば問題にされるところだが、ここでは14世紀から16世紀前半までをスペインのルネサンス期と考える。この時期を代表する詩人としては、サンティリャーナ侯爵、ホルヘ・マンリーケ、ガルシラソがいるが、とくに16世紀初めに武人として活躍した詩聖ガルシラソは、イタリアの詩型をスペインに移植することに成功し、スペイン語の詩に革新的な変化をもたらした。しかし、この時期に書かれた真にルネサンス的な作品ということになれば、イタの主任司祭フアン・ルイスの『聖(きよ)き愛の書』(1330、増補版1343)と、改宗したユダヤ人フェルナンド・デ・ローハスFernando de Rojas(1470ごろ―1541)の作とされる『セレスティーナ』(1499)をあげなければならないだろう。前者は、聖き愛=神への愛に至る道を示すと称しながら、さまざまな材源を用いてエロティックな世俗的な愛の姿を描き、その解釈を読者にゆだねるというたいへん含みの多い個性的な作品であり、後者は、ネオ・プラトニズムの影響を受けて極端に精神的な愛を描くのが普通であった当時の文学作品のなかにあって、本能的な欲望のままに動かされる人間の姿をペシミズムを基調にして赤裸々に描いたユニークな作品で、スペイン語散文による最初の傑作であると同時に、近代小説の先駆的な作品ともなっている。このルネサンス期には幾多の優れた人文学者が生まれたが、スペインに関しては16世紀初めのエラスムスの影響がとくに重要で、双生児のアルフォンソとフアンのバルデス兄弟は、この派の代表的な存在。

[桑名一博]

黄金世紀

スペイン文学史では通常、16世紀後半から17世紀前半に至る期間を黄金世紀とよんでいる。ルネサンス期に流入した外国の思潮が土着化し、スペイン独自の文化が一斉に開花した時期である。スペインでは、16世紀なかばのトリエステ公会議で対抗宗教改革の方針が打ち出されると、対外政策から日常生活に至るまですべてがその方針に従う形で事が運ばれるようになったので、文学も当然その影響を受け、16世紀後半にはまず教訓文学が盛んになる。ついで、当時の熱烈な宗教心に支えられて、ルイス・デ・レオンやルイス・デ・グラナダなどの宗教文学が栄え、1580年代になると、サンタ・テレサSanta Teresa de Jesús(1515―1582)とサン・フアン・デ・ラ・クルスという、世界の文学史のなかでも特異な光芒(こうぼう)を放つ2人の神秘主義文学者が現れる。

 17世紀前半はスペイン文学の各ジャンルが最盛期を迎えた時期といってもよいが、この期の詩壇は文飾主義と奇想主義という二つの流派に支配された。それぞれの流派の代表者であるゴンゴラとケベードは、ともにバロック詩の最高峰に位置する卓越した詩人であったが、彼らの難解な詩法をまねた亜流の詩人たちが続出したため、世紀の後半になると詩は衰退へと向かうことになる。黄金世紀の華ともいうべき演劇は、ロペ・デ・ベガとカルデロン・デ・ラ・バルカという2人の巨匠を中心に多数の劇作家を輩出し、他に類例をみないほどの一時期を画した。生涯に1800編以上の作品を書いたといわれるロペは、プンドノールpundonorとよばれる極端に体面を重んじる感情を元にした風俗劇で民衆の要望にこたえたが、彼の周辺には、ドン・ファン伝説を初めて劇化したティルソ・デ・モリーナ、性格喜劇を得意としたルイス・デ・アラルコン、『若き日のシッド』の作者ギリェン・デ・カストロなどがいた。そしてロペ亡きあとの演劇界を支えたのが、『人生は夢』などで知られるカルデロンで、彼は基本的にはロペの方法に従いながらも、より緊密な構成とより深みのある諸作品によって、バロック演劇の頂点を極めた。

 一方、小説の発展の跡をみると、16世紀の初めに『アマディス・デ・ガウラ』をはじめとする騎士道物語(騎士物語)と、それに続く牧人小説の大流行をみたが、その後になるとこうした非現実的な物語にかわって、社会の下層に住む人々の生活を描いたピカレスク小説(悪漢小説)が出現する。このジャンルの先駆的な作品としては、作者不詳の『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』(1554)があるが、ならず者の生活を描くと同時に、道徳的な教訓を伝えようとするスペインのピカレスク小説の特徴を示す作品は、マテオ・アレマンの『グスマン・デ・アルファラーチェの生涯』(第1部1599、第2部1604)が出版されてから、およそ半世紀ほどの間に集中的に現れている。こうした小説の発展の歴史のなかにあって、騎士道物語、牧人小説、悪漢小説の要素をすべて取り込みながらも、根底において旧来の小説概念を否定することで最初の近代小説とよばれる名誉を獲得したのが、セルバンテスの『ドン・キホーテ』(第1部1605、第2部1615)である。黄金世紀の文学としてはこのほかにも、ラス・カサスBartolomé de Las Casas(1474―1566)やベルナール・ディアス・デル・カスティーリョBernal Díaz del Castillo(1496ごろ―1581)などのクロニスタ(記録作家)の作品、バルタサール・グラシアン・イ・モラーレスの存在、ロマンセ(バラード=物語詩)の新たな展開など、見逃しがたいものがいろいろとある。

[桑名一博]

18~19世紀

18世紀は一般に銅の世紀といわれるように、創造力の枯渇した時代であって、この世紀の文学者としてはわずかに、評論家のホベリャノス、フェイホー、劇作家のモラティンの名があげられるにすぎない。

 19世紀は前半がロマンチシズム、後半がリアリズムの時代と分けられることが多いが、スペインに真のロマンチシズムがあったかどうかは問題のあるところである。いずれにしろ、文学が再生の兆しをみせるのは、世紀の後半に入って、バレーラJuan Valera(1824―1905)、クラリンClarín(レオポルド・アラスLeopoldo Alas。1852―1901)といった作家たちが登場してくるあたりからであるが、この時代のもっとも重要な小説家はベニト・ペレス・ガルドスBenito Pérez Galdós(1843―1920)で、彼は『国史挿話』46巻のほかに、『フォルツナータとハシンタ』(1886~1887)をはじめとする小説により同時代の社会を縦横に描いた。

[桑名一博]

20世紀

19世紀末にラテンアメリカで起きた言語と感性の変革運動であるモデルニスモ(近代主義)は、スペインにおいては、没落した国家の再生を願って執筆活動を始めた「98年の世代」の活動と重なり合って、20世紀文学の基盤となる。ここからアントニオ・マチャード、ウナムーノ、バーリェ・インクランRamón María del Valle-Inclán(1866―1936)、フアン・ラモン・ヒメネスが生まれ、次の世代からはオルテガ・イ・ガセー、ペレス・デ・アヤラRamón Pérez de Ayala(1881―1962)、ガルシア・ロルカアルベルティといった人たちが輩出し、文学界はふたたび国際的な注目を浴びるほどの活況を呈するようになった。

 しかし、1936年に勃発(ぼっぱつ)したスペイン内乱とそれに続くフランコ体制は、アウブ、ギリェン、ロサ・チャセルRosa Chacel(1898―1994)といった多くの有能な文学者を亡命の道へと追いやり、本国の文学界は長期にわたる不毛の時期を迎えることになる。

 こうした状況は、セラに続いて1950年代に登場したマトゥーテやゴイティソロといった作家たちの出現によって、すこしずつ変化をみせ始める。そして、1960年以降になると、マルティン・サントスLuis Martín Santos(1924―1964)『沈黙の時』(1962)、フアン・ベネJuan Benet(1927―1993)『レヒオンへ帰れ』(1968)、トレンテ・バリェステルGonzalo Torrente Ballester(1910―1999)『J・Bのサガ/フガ』(1972)のような注目すべき作品が発表されるが、しかし、いまだフランコ体制下の出版規制が続いていた時代なので、文学全体としては、そのころ隆盛を極めたラテンアメリカ文学の陰に隠れていた感がある。こうしたスペイン文学に確かな復興の兆しがみられるようになるのは、独裁制から民主制へ移行して10年ほどたった、1980年代の後半あたりからである。エドゥアルド・メンドサEduardo Mendoza(1943― )『驚異の都市』(1986)を皮切りに、ムニョス・モリナAntonio Muñoz Molina(1956― )、リャマサーレスJnlio Llamazares(1955― )、ランデーロLuis Landero(1948― )、マルティン・ガイテCarmen Martín Gaite(1925―2000)、マリアスJavier Marías(1951―2022)などの秀作がきびすを接するようにして刊行され出したのである。内乱から半世紀を経て、ようやく文運旧に復したというべきか。

[桑名一博]

『会田由編『世界名詩集大成14(南欧・南米編)』(1967・平凡社)』『神吉敬三、アンセルモ・マタイス他編『ウナムーノ著作集』全5巻(1972・法政大学出版局)』『ガルシア・ロペス著、東谷穎人訳『スペイン文学史』(1985・白水社)』『ペドロ・ライン・エントラルゴ著、森西路代他訳『スペイン一八九八年の世代』(1986・れんが書房新社)』『清水憲男著『ドン・キホーテの世紀――スペイン黄金時代を読む』(1990・岩波書店)』『カルロス・フエンテス著、牛島信明訳『セルバンテスまたは読みの批判』新装版(1991・水声社)』『林屋永吉・佐々木孝他著『スペイン黄金時代』(1992・日本放送出版協会)』『東谷穎人編『スペイン幻想小説傑作集』(1992・白水社)』『フェデリコ・ガルシア・ロルカ著、荒井正道他訳『ロルカ戯曲全集』全3巻(1992・沖積舎)』『牛島信明編『スペイン中世・黄金世紀文学選集』全7巻(1994・国書刊行会)』『イアン・ギブソン著、内田吉彦訳『ロルカ』(1997・中央公論社)』『牛島信明著『スペイン古典文学史』(1997・名古屋大学出版会)』『生松敬三・桑名一博他編『オルテガ著作集』全8巻・新装復刊(1998・白水社)』『セルバンテス著、牛島信明訳『ドン・キホーテ』全2巻(1999・岩波書店)』『牛島信明他編『スペイン学を学ぶ人のために』(1999・世界思想社)』『S・マダリアーガ著、佐々木孝訳『情熱の構造――イギリス人、フランス人、スペイン人』(1999・れんが書房新社)』『杉浦勉編『ポストフランコのスペイン文化』(1999・水声社)』『原卓也・西永良成編『翻訳百年――外国文学と日本の近代』(2000・大修館書店)』『ジャン・カナヴァジオ著、円子千代訳『セルバンテス』(2000・法政大学出版局)』『佐竹謙一著『スペイン黄金世紀の大衆演劇――ロペ・デ・ベーガ、ティルソ・デ・モリーナ、カルデロン』(2001・三省堂)』『R. O. Jones:A Literary History of Spain, 7 vols. (1971, Ernest Benn, London)』

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改訂新版 世界大百科事典 「スペイン文学」の意味・わかりやすい解説

スペイン文学 (スペインぶんがく)

スペイン文学を定義する場合,ブラジルを除くラテン・アメリカ諸国でもスペイン語で書かれた文学が行われていること,またスペイン国民はスペイン語(カスティリャ語)の文学のほかにカタルニャ語やガリシア語の文学をももっていることに留意しなければならない。これらの点を考慮すれば,スペイン文学をスペインで行われているスペイン語で書かれた文学と定義するのが妥当であろう。

10世紀におよぶスペイン文学の特徴をわずかの言葉で論じることなど無謀ともいえるが,あくまでも相対的な大きな傾向としては,〈衝動性〉〈“生”との密着〉〈継続性〉をあげることができよう。スペイン人は抽象的・体系的な思弁によって文学を営むことよりも,現実を直観的・具体的に把握し,それを日常的感情に即して表現することを得意としてきた。そして〈生〉の感情を重視するあまり,形式や文体の洗練に意を用いない傾向にあった。さらにスペイン文学には,そのテーマや詩形式などが時代を超えて受け継がれるという大きな特徴がある。この〈継続性〉はスペイン文学をヨーロッパ諸国の文学の中で異色のものにしている最大の要因であるが,その派生的現象としてのいわゆる〈遅れた結実〉はまさにスペイン的である。例えば,一般には中世の終焉(しゆうえん)とともに終わった,あるいは下火になったジャンル(騎士道物語,神秘主義文学など)が,スペインではルネサンス期に遅れて開花し,結実したため,独特の味わいをもった文学となった。そして,この〈遅れた結実〉こそスペイン黄金世紀文学の大きな部分をなすものである。

スペイン文学は遍歴歌人(フグラール)が英雄の偉業をたたえて吟誦した武勲詩,つまり叙事詩に始まるが,口承文学という性質ゆえにそのほとんどが散逸してしまい,現在に残る唯一の作品は1140年ころに書かれた《わがシッドの歌》である。〈国土回復戦争〉に活躍した実在の英雄シッド・カンペアドール(エル・シッド)を主人公とする作者不詳のこの武勲詩は,史実に基づくリアリズムがその最大の特徴であり,例えば,フランスの《ローランの歌》と比べてみると,主人公シッドはローランほど理想化されてはおらず,人間性に富んだより現実的な人物として描かれている。13世紀になると〈メステル・デ・クレレシーアmester de clerecía〉と呼ばれる聖職者階級の文芸が盛んになるが,代表的作品は,現在にその名を知られる最初のスペイン詩人G.deベルセオの手になる,聖母マリア伝説を素材とした25編の物語詩集《聖母の奇跡》である。スペイン文学における個性的な批判精神の発露は,14世紀のフアン・ルイスの《よき愛の書》をもってその嚆矢(こうし)とする。著者自身の恋愛沙汰を主題にした韻文による自伝とも読めるこの作品は,風刺とユーモア,そして多義的な文体によって聖なるものと俗なるものがみごとに調和した大作で,中世ヨーロッパ文学の最高の達成のひとつとなっている。散文の分野で傑出しているのは,学術文芸の保護者でもあった賢王アルフォンソ10世で,彼の《シエテ・パルティダス(七部法典)》や《総合年代記》などにより,スペイン語の散文は長足の進歩をとげることになった。また賢王の甥にあたる貴公子ドン・フアン・マヌエルの《ルカノール伯爵》は,ボッカッチョの《デカメロン》とともに後のヨーロッパ文学に多くの素材を提供した作品であるが,何よりもドン・フアン・マヌエルは審美的効果を意識して独自の文体を確立した最初の作家として重要である。

15世紀の後半にはイタリア・ルネサンスの影響が見られるようになり,宮廷詩人のサンティリャナ侯爵Marqués de Santillana,つまりイニゴ・ロペス・デ・メンドサIñigo López de Mendoza(1398-1458)やホルヘ・マンリーケによって繊細な抒情詩が書かれたが,なかでも後者の《父の死によせる歌》は世界文学における悲歌の傑作として,ミルトンの《リシダス》やテニソンの《イン・メモリアム》と並び称されている。また8音節の詩行からなり偶数行のみが脚韻をふむスペイン独特の詩様式,〈ロマンセ〉が生まれたのもこの時期である。小説の分野では,次の世紀に大流行する騎士道物語や感傷小説が書かれるようになったが,後世に圧倒的影響を及ぼしたのは,フェルナンド・デ・ロハスFernando de Rojas(1465ころ-1541)作の《セレスティーナ》の名でよく知られる《カリストとメリベーアの悲喜劇》(1499)である。この作品は若い男女の悲劇的恋愛をテーマにしているが,その魅力は人間の心理的洞察の深さにある。カリストとメリベーアの間をとりもつセレスティーナという老婆や売春婦をはじめとする社会の下層の人物が,それぞれにふさわしい言語表現を得てみごとに描き出されている。改宗ユダヤ人たる作者ロハスの苦悩に根ざすと思われる厭世的リアリズムは,15世紀末のヨーロッパにあって比類のないものであった。

黄金世紀の時代区分についてはさまざまな議論があるが,広く16,17の2世紀とするのが適当であろう。そして16世紀をルネサンス盛期,17世紀をバロック期とすれば大きな思潮の把握に役立つであろう。人間中心主義を唱えるルネサンスは,一般に神中心の中世的世界観と対立するもの,あるいは中世との断絶ということになりがちであるが,スペイン・ルネサンスの場合,中世の要素が生き続け,それが新しい精神と融合することによって独自のルネサンスとなった。17世紀になると政治的衰退による社会の混乱や,他の国にまして深く根をおろした反宗教改革の影響によって,この世を虚偽に満ちたはかない夢とみなす厭世的な幻滅思想が広がり,その上にスペイン・バロック文学が花をひらくことになる。

スペイン・ルネサンスの新しい詩はソネットをはじめとするイタリア様式を導入したガルシラソ・デ・ラ・ベガに始まるが,彼の《牧歌》は愛の感動,美しい自然描写,音楽性が完璧な形式と調和した絶唱である。その後このイタリア詩派はスペインの伝統と融合し,ルイス・デ・レオン率いるところの,地味な響きと深い精神性を重視するサラマンカ派と,フェルナンド・デ・エレラFernando de Herrera(1534-97)を領袖とし,形式美と華麗さを強調するセビリャ派に分かれた。次いでスペイン・バロック最大の詩人ルイス・デ・ゴンゴラの出現を見る。《孤愁》を頂点とする難解きわまりない彼の詩法〈ゴンゴリスモ〉はしばらくの間無視されていたが,フランスの象徴派やスペインの近代派によって見直され,現在では世界文学史に冠たる位置を占めている。

16世紀には中世以来の宗教劇と並んで古典劇の模倣も行われたが,これが民衆の間に根づくことはなかった。そして民衆を魅惑する真の〈国民劇〉が成立するには,実に2000編におよぶ戯曲(現存するのは400余編)を書いたといわれるローペ・デ・ベガの出現を待たねばならなかった。ベガの成功を決定づけたのはスペイン民衆の感情の根底にあった〈名誉〉あるいは〈体面感情〉の演劇への導入で,《フエンテオベフーナ》がその代表作である。その後,ベガの流れをくむすぐれた劇作家が輩出した。なかでも《セビリャの色事師と石の招客》によって,漁色放蕩の伝説的人物ドン・フアンを演劇の中に定着させ,それ以降各国で生まれることになる無数のドン・フアン劇の創始者となったティルソ・デ・モリーナ,《疑わしき真実》により17世紀フランス古典劇に影響を与えたルイス・デ・アラルコンが重要である。そして〈黄金世紀〉の棹尾(とうび)を飾る巨人がカルデロン・デ・ラ・バルカで,バロック期特有の凝った文体や舞台構成を用いた哲学的な《人生は夢》と平民の名誉を描いた《サラメアの村長》はスペイン演劇の最高峰に位置するものである。

16世紀前半に隆盛をきわめたのは《アマディス・デ・ガウラ》を頂点とする,中世の騎士道を理想化した騎士道物語であるが,こうした理想主義的傾向への反動として現れたのが,〈悪者〉の遍歴を通して社会悪を風刺する〈悪者小説(ピカレスク)〉である。1554年に出版された作者不詳の《ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯》がその嚆矢となったが,このジャンルはマテオ・アレマンの《悪者グスマン・デ・アルファラーチェの生涯》を経て,スペイン・バロック期最大の文人フランシスコ・デ・ケベードの《かたり師,ドン・パブロスの生涯》でその極に達した。そして不朽の名作《ドン・キホーテ》により,上述の二つの小説の傾向を融合し,創造の中に創造の批判を根づかせることによって厳密な意味での近代小説をつくり出したのがミゲル・デ・セルバンテスである。セルバンテスの重要な作品としてはほかに,12の短編からなる《模範小説集》(1613)がある。なお,〈黄金世紀〉文学にあって特異の光芒(こうぼう)を放っているのが,神との内的合一を求める神秘主義者たちの啓蒙的散文,あるいは詩による〈神秘文学〉で,代表者はテレサ・デ・ヘススTeresa de Jesús(アビラのテレサ),フアン・デ・ラ・クルスJuan de la Cruz(十字架のヨハネ),そしてルイス・デ・グラナダLuis de Granada(1504-88)である。

1700年にブルボン家がスペインの王位を継承したため,スペインは圧倒的なフランスの影響下におかれることになった。そして文学も啓蒙主義,および17世紀フランスの古典主義にならった教条的な新古典主義に支配されたため,自発性を主柱とするスペイン精神の奔放な飛翔は抑制され,独創的な作品はほとんど生まれなかった。こうした時代精神を反映して,創作よりも文学批評やエッセーが前面に現れてくるが,この期を代表する作家が,膨大な《世界の批判的提示》で科学・哲学・文学などの広範な知識を整理したB.J.フェイホーであり,《大衆教育の一般計画》などの著作でスペインが直面していた諸問題と情熱的に取り組んだ文人政治家G.M.deホベリャノスである。新古典主義演劇の分野ではL.F.deモラティンの《娘たちの“はい”》がほとんど唯一の傑作である。

19世紀前半はヨーロッパ全体にロマン主義が流行したが,スペインにもやや遅れて移入され,詩と演劇の分野に成果が見られた。革命運動と激しい恋の末に夭逝したJ.deエスプロンセーダの,ドン・フアン伝説を扱った物語詩《サラマンカの学生》と,神秘的ともいえる深遠な詩語を操った孤独な夢想詩人G.A.ベッケルの《抒情詩集》は文学史に残る傑作である。演劇では1835年に上演されたリーバス公爵の《ドン・アルバロ》が,ビクトル・ユゴーの《エルナニ》のスペイン版ともいうべき,ロマン主義の勝利を決定づける作品であった。また,詩と演劇の両方においてロマン主義の寵児であったJ.ソリーリャの《ドン・フアン・テノーリオ》は,今日でも絶えず上演されているドン・フアン劇の名作である。

 19世紀後半のリアリズムの時代になると,主として社会的テーマを身近なもの,地方的なものに即して描く,風俗描写的な〈郷土小説〉が数々の佳作を生むことになる。このジャンルの嚆矢となったフェルナン・カバリェロFernán Caballero(1796-1877)の《かもめ》,P.A.deアラルコンの《三角帽子》,そしてアンダルシアを舞台に,恋と宗教的使命の板ばさみとなった神学生の心の葛藤を描いたJ.バレーラの《ペピータ・ヒメネス》などである。この傾向に属するものの,はるかにスケールが大きく,セルバンテスに次ぐ小説家と見なされているのがB.ペレス・ガルドスである。《国史挿話》という総合的題名のもとに19世紀スペインの歴史に題材を得た46巻におよぶ小説を,また《現代スペイン小説集》という総合的題名のもとに数多くの名作を書いて,スペイン社会がかかえている問題と人間を描いた彼の偉業はバルザックの《人間喜劇》を思わせるものである。なお19世紀も末になるとフランスの自然主義が移入され,E.パルド・バサン,クラリンClarín(1852-1901),V.ブラスコ・イバーニェスらがすぐれた作品を残した。

1898年の米西戦争の敗北で祖国が最後の植民地を失ったとき,スペインの後進性を痛感し,苦悩のうちに未来を模索した作家たちを〈98年世代〉と呼ぶが,その中心となったのは《生の悲劇的感情》で理性と信仰の葛藤を論じ,それをヨーロッパとスペインとの関係にまで広げたM.deウナムノ,古典文学の再評価を通してスペインの魂を探求したアソリン,スペイン文学史上最も完成された小説家のひとりに数えられるP.バローハ,詩集《カスティリャの野》で,荒涼としたカスティリャの風景の観照を通してスペイン(人)の本質をさぐったアントニオ・マチャードらである。概してペシミズムを基調とし,真のスペインを発見しようとした〈98年世代〉に対し,ヨーロッパの思想に沿おうとした知識人たちを20世紀の〈第2の世代〉と呼ぶ。ここで際だっているのが《大衆の反逆》で知られる哲学者オルテガ・イ・ガセットと,《ベラルミーノとアポローニオ》の著者ペレス・デ・アヤラである。詩人としては,1956年にノーベル文学賞を受けたJ.R.ヒメネスが傑出しており,《石と空》をはじめとする彼の純粋詩の現代詩に対する影響は圧倒的である。1927年,〈黄金世紀〉の詩人ゴンゴラの300年忌に合わせてグループを結成した一群の詩人を〈27年世代〉と呼ぶ。これは〈20世紀前半のヨーロッパ抒情詩が生んだ,おそらく最も貴重な宝〉(フーゴ・フリードリヒ)といわれるグループで,《ジプシー歌集》,そして《血の婚礼》をはじめとする三大悲劇により,詩人・劇作家として世界的名声をはせているF.ガルシア・ロルカ,V.アレイクサンドレ,純粋詩のJ.ギリェンらがその中核をなしている。

国内を二分した内戦後のフランコ独裁体制は優れた作家を国外に追いやり,多くの才能を圧迫したため,戦後しばらくは文学的不毛の時が続いたが,小説ではC.J.セラの《パスクアル・ドゥアルテの家族》やラフォレCarmen Laforet(1921-2004)の《無》,詩ではD.アロンソの《怒りの息子》,そして演劇ではA.ブエロ・バリェホの《ある階段の物語》によって戦後文学が曙を迎えた。その後着実な展開を見せ,1975年のフランコ総統の死後新しい気運も感じられるが,この間の世界的レベルに達した成果としては,小説の分野におけるマルティン・サントスLuis Martín-Santosの《沈黙の時》とJ.ゴイティソーロの三部作,《身元証明》《ドン・フリアン伯爵の復権》《根なしのフアン》をあげうるであろう。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スペイン文学」の意味・わかりやすい解説

スペイン文学
スペインぶんがく
Spanish literature

スペインで創作された文学作品の総称。政治的,言語学的な背景から,現代標準スペイン語の基礎となったカスティリア語で書かれたものが主流であるが,カタラン語やガリシア語による作品もある。現存する最古のスペイン文学の傑作は,12世紀に成立した武勲詩『わがシッドの歌』である。またこの時期には,聖職者や学者など一部の知識階級が,信仰をテーマにした詩を書いた。カスティリア=レオン王アルフォンソ 10世は,13世紀中期に公文書に用いる言語をラテン語からスペイン語に換えるなどして,スペイン語散文の基礎を築いた。アルフォンソ 10世の命令で,大法典集や歴史書の編纂,アラビア語の科学書の翻訳などが相次いで完成した。 14世紀には教訓物語や騎士道物語が登場した。詩の分野では,イタの首席司祭 J.ルイスの『よき愛の書』 (1330) が中世最大の傑作とされ,イタリアの影響を受けたサンティリアナ侯爵の抒情詩や,J.デ・メーナの寓喩的な叙事詩を経て,洗練されたものとなった。散文文学では,F.デ・ロハスの作といわれる戯曲形式の小説『セレスティーナ』 (1499) が初期の傑作とされ,その濃密な心理洞察とリアリズムは当時の作品としては類をみない。
1479年のスペイン統一は,スペインにおけるルネサンスの発端となり,同時にスペイン文学の黄金時代の始りともなった。 G.デ・ラ・ベガはカスティリア詩にイタリアの韻律を導入し,キリスト教神秘家の詩人,十字架のヨハネやアビラのテレサは精神的,宗教的題材を描いた。 L.デ・ゴンゴラ・イ・アルゴテは,装飾されたイメージ,古典からの手の込んだ引喩,複雑な構文を特徴とする,文飾主義 (ゴンゴリズモ) と呼ばれる華麗で凝ったスタイルを生み出した。散文小説では,さまざまなジャンルの作品が登場して,長い間人気を独占してきた騎士道物語に取って代った。イタリア文学から移入された牧人小説は,農村の簡素な生活を理想化して描いたものである。スペイン生れの悪者小説は,作者不詳の『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』 (1554) に始り,M.アレマンの『グスマン・デ・アルファラチェ』 (99) で頂点に達した。下賤な無頼漢の冒険をコミカルに描いた悪者小説によって,スペインの小説は現実社会を真向から見つめ,観察し,その奥まで見通すものとなった。黄金時代の最大傑作は M.デ・セルバンテス・サアベドラの『ドン・キホーテ』 (第1部 1605,第2部 15) であり,この作品によって近代スペイン小説は,繊細な心理描写においても社会的な洞察力においても一段と飛躍した。
17世紀後半になると,スペインは政治的にも経済的にもすっかり没落しており,文学もまた瀕死の状態であった。 18世紀にブルボン家がスペイン王位を継承してフランスの圧倒的な影響下におかれると,再生したスペイン文化はフランス古典主義の影響を強く受け,アカデミーなどが創設されたが,独創的な文学作品はほとんど生れなかった。 1830年代に移入され,急激に広まったロマン主義運動をきっかけに,スペイン文学は力を取戻した。ロマン主義の代表的作家としては,リバス公 A.デ・サアベドラ,J.ソリリャ・イ・モラル,J.デ・エスプロンセーダがあげられる。リバスの戯曲『ドン・アルバロもしくは宿命の力』 (1835) は,ロマン主義の様式をすべて折込んだ作品で,これに触発されて次々と作品が書かれ,ソリリャ・イ・モラルの『ドン・フアン・テノリオ』 (44) で頂点に達した。詩の分野では 50年以降に G.A.ベッケル,R.デ・カストロ,R.デ・カンポアモル・イ・カンポソリオといった新世代の詩人たちが登場し,初期のロマン主義の繊細さや感情の強調はそのままに,形式や文体にこだわりすぎる部分を排除した。 19世紀前半の散文文学は,風俗主義が流行した。風刺に満ちた短い文学的スケッチは M.J.デ・ララの真骨頂で,ララは『論説集』 (35~37) でマドリードに住むブルジョア階級をきびしく批判した。風俗主義のもう一つの形は地方色や民俗に着目したもので,これは 19世紀後半に主流となった写実的な地方主義文学の基礎を築いた。 A.パラシオ・バルデスの『マルタとマリア』 (83) ,J.M.デ・ペレダの『岩山のかなた』 (95) は,宗教,家族,田園生活といった伝統的な価値に注目した地方主義小説の代表作である。 J.バレラ・イ・アルカラ・ガリアノと B.ペレス・ガルドスは,地方主義の枠をこえて,より広く普遍的なテーマを扱った小説を書いた。特にペレス・ガルドスは,46編の小説から成る『国史挿話』 (73~79) で,19世紀のスペイン史をまとめた。 E.パルド・バサンはフランス自然主義を移入したが,カトリックに深く根ざしたスペインはフランスの自然主義と相いれないと知って,地方主義リアリズムに戻った。スペインの代表的な作家のなかでただ一人,自然主義の原則と技巧を会得したのは V.ブラスコ・イバニェスで,故郷バレンシアを舞台にした小説で知られる。
1898年のアメリカ=スペイン戦争に敗北して最後の植民地を失ったことをきっかけに,スペインの知識階級は長期にわたる国家の凋落の原因を分析し,伝統的な価値を再評価するようになり,「98年の世代」と呼ばれる作家の一群が,スペイン独自の文化の再興を目指した。このなかには散文作家の M.デ・ウナムーノアソリン,P.バロッハ,R.M.デル・バリェ=インクラン,詩人の M.マチャド・イ・ルイスと A.マチャド・イ・ルイスの兄弟,哲学者で批評家の J.オルテガ・イ・ガセットらがいた。 20世紀初期のスペインを代表するその他の文学者としては,小説家の R.ペレス・デ・アヤラと,ノーベル文学賞を受賞した抒情詩人 J.R.ヒメネスがいる。「1927年の世代」と呼ばれる F.ガルシア・ロルカ,P.サリナス,V.アレイクサンドレらは,過去の文学ばかりでなく,シュルレアリスムなどの新しい流行にも発想の源を得て,象徴的なイメージや神話を洗練された手法で扱うことを特徴とする,強烈な個性をもった詩を生み出した。
スペイン内乱 (1936~39) 後は,C.J.セラや C.M.ガイテ,E.キローガに代表される強烈なリアリズム文学がさまざまな形で登場した。 1960年代初期以降 J.ゴイティソロ,J.M.ヒロネリャらによる構成や語り口,言語の実験が注目を集めるようになった。抒情詩では,モダニズムや「1927年の世代」の作家たちのような複雑さから離れ,秩序ある形式と直接的なイメージによるとぎ澄まされた表現,社会意識に力点をおいた,より簡素なアプローチが主流になった。これらは G.セラヤ,B.デ・オテロ,C.ロドリゲスらの作品によく表われている。

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