スピーカー(Tristram E Speaker)(読み)すぴーかー(英語表記)Tristram E Speaker

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

スピーカー(Tristram E Speaker)
すぴーかー
Tristram E Speaker
(1888―1958)

アメリカのプロ野球選手(左投左打)、監督。大リーグ(メジャー・リーグ)のボストン・レッドソックス、クリーブランド・インディアンスワシントンセネタース(現ミネソタ・ツインズ)、フィラデルフィアアスレチックス(現オークランド・アスレチックス)で外野手としてプレー。スーパープレーの数々でファンを魅了した名外野手であり、タイ・カップの連続首位打者獲得を9年で止めた好打者としても知られる。1919年から26年まではインディアンスで監督も務めた。

 4月4日、テキサス州ハバードで生まれる。1906年にプロ入りし、07年レッドソックスに昇格した。1909年には大リーグに定着してレギュラーとなった。広い守備範囲と強肩、そして二塁打と三塁打を量産する好打で知られるようになり、1912年と15年のワールド・シリーズ優勝に貢献した。1916年にインディアンスに移籍したが、この年に打率3割8分6厘をマークして首位打者となり、打率3割7分1厘のカップを上回った。ちなみにカップは前年まで9年連続首位打者となっており、また翌年から3年連続で同タイトルを獲得している。1919年のシーズン途中から監督兼任となり、20年には球団史上初のワールド・シリーズ優勝を達成した。1927年にセネタースに移って選手専任に戻り、打率3割2分7厘をマークしながら同年だけで解雇された。1928年はアスレチックスに所属したが、打率2割6分7厘に終わり、これが大リーグでの最後のシーズンとなった。1929年からは監督兼任でマイナー・リーグでプレーを続けたが、30年限りで現役を引退し、監督業からも離れた。

 選手としての22年間の通算成績は、出場試合2789、安打3514、打率3割4分5厘、本塁打117、打点1529。獲得したおもなタイトルは、首位打者1回、最多安打2回、本塁打王2回。監督としての通算成績(8年)は、617勝520敗、リーグ優勝1回、ワールド・シリーズ優勝1回。1937年に野球殿堂入り。

[山下 健]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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