スティーブンソン(Robert Louis Stevenson)(読み)すてぃーぶんそん(英語表記)Robert Louis Stevenson

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

スティーブンソン(Robert Louis Stevenson)
すてぃーぶんそん
Robert Louis Stevenson
(1850―1894)

イギリスの作家。11月13日エジンバラに生まれる。スティーブンソン家は、スコットランドでは著名な灯台建築技師の一家で、彼も初めはエジンバラ大学の土木工学科へ入るが、父の仕事を継ぐ気になれず、中途で法律に転じた。弁護士の資格はとったものの、これは父の説得によるもので、その後は好きな文学の道に進む。肺結核のためたびたび転地保養を必要とし、喀血(かっけつ)を繰り返すが、病弱にもかかわらず多作で、長編、短編随筆、評論、旅行記、韻文など多分野に優れた作品を残している。初めて活字になったのは、1873年『ポートフォリオ』誌掲載のエッセイ『街道』で、短編第一作は『夜の宿』(1877)である。以後、スペインの徒歩旅行記『ロバとともに』、エッセイ『若き人々のために』、のちに『新アラビアン・ナイト』に収録された諸短編を次々と雑誌に発表する。作家的地位を確立したのは『宝島』(1883)で、1886年刊『ジキル博士とハイド氏』で文名は世界的に広まった。長編には『誘拐されて』(1886)、その続編『カトリオナ』(1893)、そして『バラントレー家の若殿』(1889)、『ハーミストンのウィア』(未完)など。彼の小説は当時流行の写実主義や自然主義とは無縁で、作風はむしろ空想的ロマンスに近い。ジェームズ王党派の反乱があった時代に題材を多くとるが、歴史小説ではなく、冒険あり恋あり復讐(ふくしゅう)ありの物語である。こうした空想性、ロマンス性は中・短編にもみられ、スティーブンソン文学の特色の一つといえる。

 1880年、11歳年上のアメリカ婦人と結婚し、1887年アメリカに移住するが、翌年帆船を購入して南太平洋を巡航サモア諸島ウポル島に寄り、風景と健康的な気候が気に入り、ここを永住の地と決めるが、1894年12月3日、『ハーミストンのウィア』を未完のままに脳溢血(いっけつ)で急逝した。

[高見幸郎]

『橋本福夫訳『若き人々のために』(角川文庫)』『中村徳三郎訳『新アラビヤ夜話』(岩波文庫)』


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