スターン(Laurence Sterne)(読み)すたーん(英語表記)Laurence Sterne

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

スターン(Laurence Sterne)
すたーん
Laurence Sterne
(1713―1768)

イギリスの作家、聖職者。11月24日、アイルランドクロンメルに生まれる。曽祖父(そうそふ)にケンブリッジ大学の学寮長(マスター)やヨークの大主教を歴任した著名人をもつが、父親はのんき者の貧乏陸軍少尉で、母との結婚も、従軍商人であった彼女の継父に対する借金を帳消しにしてもらうためであったという気まぐれな男であった。スターンは、国の内外にわたる父の勤務地、駐屯地を転々として貧しく育ち、父の死後、親戚(しんせき)の援助でケンブリッジ大学に学んだ。1737年卒業し、ヨークの近在で聖職につく。以後死のときまで30年余を聖職者で送った。41年結婚。こののち約20年は、ときに牧師間の生臭い勢力争いに巻き込まれたり、教養のない母親との確執に悩まされたりしつつも、ヨークの社交界の空気を楽しみ、また大学時代の友人ホールの書斎でその蔵書ラブレーモンテーニュエラスムスセルバンテス、バートン、スウィフトなどに読みふけったりして、比較的平穏な田舎(いなか)紳士の生活が続いた。ただし健康は、大学卒業のころ最初の喀血(かっけつ)をみてから、つねに持病肺患に付きまとわれた。

 1759年、ふとしたことから文才を自覚して、『トリストラム・シャンディ生涯意見』の執筆を始めたが、60年1月、その第1、2巻が出版されると、思いがけない大好評で、一躍ロンドン社交界の寵児(ちょうじ)となり、各方面から引っ張りだこのありさまであった。この作は以後すこしずつ書き継がれて、結局スターンの死で未完に終わった。ほかに68年出版のいっぷう変わった紀行文『センチメンタル・ジャーニー』、60年から死後にかけて出版の『説教集』七巻などの著作がある。晩年、東インド会社勤務のさる男の妻エリザベスという、父娘ほど年の違う若い婦人にのぼせ上がって、『イライザへの日記』という綿々たる手記を残し、これは20世紀に入って公刊された。作品も奇作の誉れが高いが、人としても奇人部類に属する人物であった。68年3月18日ロンドンで没。

[朱牟田夏雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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