ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スターリング」の意味・わかりやすい解説
スターリング
Sterling, Bruce
アメリカ合衆国のSF作家。 1980年代中盤にサイバーパンクの旗手として登場した。『ミラーシェード』 Mirrorshades: The Cyberpunk Anthology (1986) の編者としても有名。 1976年テキサス大学卒業後,アンソロジー『ローン・スター・ユニバース』 Lone Star Universeに"Man-Made Self"を発表してデビュー。最初の長編小説『塵クジラの海』 Involution Ocean (1977) は,ジストピア (暗黒郷) となった星を舞台に,麻薬におぼれることで混迷する人生から逃避しようとする住民たちの冒険を描いた。長編小説『スキズマトリックス』 Schismatrix (1985) では,自分自身を遺伝子的に改造するシェイパー (生体工作者) と人工的な装置を用いて改造するメカニスト (機械主義者) との相対する哲学を考察した。ほかに巨大情報ネットワークを扱った『ネットの中の島々』 Islands in the Net (1988) ,ノンフィクション『ハッカーを追え!』 The Hacker Crackdown: Law and Disorder on the Electronic Frontier (1992) などがある。ウィリアム・ギブソンとの共著『ディファレンス・エンジン』 The Difference Engine (1990) は,19世紀のコンピュータ時代の隆盛を想像した作品。
スターリング
Stirling, James
[没]1770.12.5. エディンバラ
イギリスの数学者。オックスフォード大学に入ったが (1711) ,入学の宣誓をせず,1715年には,大学で研究生活を続けて学者となるのに必要な宣誓も拒絶してオックスフォードを去り,ついに卒業しなかった。その年,友人の紹介でベネチアに行って数学を教えた。 18年,ニュートンを通してロイヤル・ソサエティに最初の論文『ニュートンの微分法』を提出した。これは翌年のロイヤル・ソサエティ機関誌に掲載され,数学者としての彼の名が広く世に知られた。 24年中頃,彼はスコットランドに帰り,数ヵ月後にロンドンに落ち着いた。 26年,ニュートンの推薦でロイヤル・ソサエティ会員となり,同じ年,Little Tower Street Academyという学校で教えるようになった。 30年『微分法,無限級数の求和と補間についての説明付き』を出版するが,これは彼の最大の業績で,この本には,ニュートン=スターリングの中心差分公式や階乗の近似値を求めるためのスターリングの公式,第1種,第2種のスターリング数などが記されている。 35年,Scottish Mining Companyという鉱山会社の改革と管理を頼まれ,以後エネルギーの大部分をこの鉱山事業に費やす。 46年に C.マクローリンが死んだため,エディンバラ大学の数学の教授席が空いたが,彼がジャコバイト派であったため,跡を継ぐことができなかった。
スターリング
Stirling
スターリング
Stirling, Sir James
[没]1992.6.25. ロンドン
イギリスの建築家。フルネーム Sir James Frazer Stirling。1950年リバプール大学建築学部卒業。1956年に建築設計事務所を設立。1956~63年はジェームズ・ゴワン,1971年以降はマイケル・ウィルフォードとパートナーを組む。1960年代はレスター大学工学部(1959~63),ケンブリッジ大学歴史学部(1967)など大学建築の設計が多く,ガラスと煉瓦を組み合わせた荒々しい表現がみられる。1970年代はケルン美術館(1975)など美術館計画を多く発表,シュツットガルト国立美術館新館(1977~84),クローギャラリー(1987)ではコンテクチュアリズムによる表現を追求した。1980年にイギリス王立建築家協会金賞,1981年にプリツカー賞を受賞。1992年建築学への貢献によりナイトの称号を受けた。
スターリング
Starling, Ernest Henry
[没]1927.5.2. キングストンハーバー
イギリスの生理学者。 1889~99年ロンドンのガイ病院講師。 1900年ユニバーシティ・カレッジ生理学教授。 02年以来 W.ベーリスとともに十二指腸粘膜の上皮細胞から分泌されるセクレチンが膵液の分泌を促進することを証明,このように特定の組織から血液中に分泌され,遠隔の器官に働く物質をホルモンと命名して,ホルモン学の基礎を築いた。また 24年 E.バネーと,腎臓尿細管が水分を再吸収することを証明した。心臓の拍出量が収縮前の弛緩期の心室容積に応じて,増加または減少することを証明した心臓法則は有名である。 11年に来日した。
スターリング
Stirling, Sir James
[没]1865.4.22.
イギリスの提督。 1803年イギリス海軍に入り,西インドなどで勤務,次いで 28年から 10年間西オーストラリアの植民地司令官,総督をつとめた。 53年クリミア戦争が起ると中国・東インド艦隊司令官として出動,日本近海のロシア艦隊を追って長崎に入港,幕府と折衝して日英約定7ヵ条 (日英和親条約) を 54年 10月 14日 (安政1年8月 23日) に締結,長崎,箱館2港を開かせた。
スターリング
Stirling, James Hutchinson
[没]1909.3.19. エディンバラ
イギリスの哲学者。イギリスにおける新理想主義の先駆者。最初,医者であったが,哲学に転じ,イギリスに初めてヘーゲル哲学を紹介,イギリスにおけるその研究の中心者となった。主著『ヘーゲルの秘密』 The Secret of Hegel (1865) 。
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