スコット(Sir Walter Scott)(読み)すこっと(英語表記)Sir Walter Scott

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

スコット(Sir Walter Scott)
すこっと
Sir Walter Scott
(1771―1832)

イギリスの詩人小説家。8月15日、スコットランドエジンバラで裕福な弁護士の子に生まれたが、幼時から病弱、1歳半のころ熱病にかかり、それが小児麻痺(まひ)を併発して、生涯右脚の自由を欠いた。早くからラテン語を学び、文学書に親しみ、12歳の若さでエジンバラ大学の古典学科に入学したが、2年目に病気中退。のち父の法律事務所で勉強して、21歳で弁護士となる。25歳のときの処女出版はドイツ語の翻訳。ナポレオン戦争に際しフランスの侵入に備えた騎兵義勇隊の幹部になったり、セルカーク州知事代理を務めたりの一方、スコットランドの民謡を収集して『スコットランド辺境歌謡集』3巻(1802~03)を編みもした。創作詩として最初のめぼしい作は『最後の吟遊詩人の歌』(1805)で、これで詩壇にも認められ、ロマン派復興の一翼を担うに至った。以後1813年ごろまでは彼の詩作時代で、13年桂冠(けいかん)詩人に任命されかけたが、友人のサウジーに譲った。物語詩『マーミオン』(1808)、同『湖上美人』(1810)などが彼の詩作の代表作品である。

 スコットが詩を捨てて小説を書き出した一つの理由は、そのころ一躍有名になったバイロンに敵しかねると自覚したことであった。小説としての第1作『ウェーバリー』は1814年匿名で出版、1745年の旧スチュアート王家復辟(ふくへき)を図った反乱史実を背景にした歴史小説で、世の好評を得た。これに自信を得た作者は、以後死ぬまでに合計27編の長編小説を書き、それらは第1作の題をとって「ウェーバリー小説群」の総称でよばれている。全部が歴史小説といってよく、多くはスコットランドに材を求めているが、代表作とされる『ラマムアの花嫁』(1819。オペラルチア』の原作)、『アイバンホー』(1819)、『ケニルワースの城』(1821)は純然たるイングランドの歴史に材をとった。この最後の作ではエリザベス1世と女王を取り巻く人々が活躍する。ほかに中世の十字軍に材をとった『護符』(1825)も異色作である。詩、小説を通じて、古い時代の武勇と恋愛の物語を中心とし、史実にはかならずしも拘泥せず、とくに小説では時代物的場面と世話物的場面とを巧みに織り交ぜて、複雑な変化に富んだ筋を展開するのが彼の独特な作風であり、それがまた彼の魅力でもあって、フランスなどでも広く愛読された。1832年9月21日没。

[朱牟田夏雄]

『朱牟田夏雄訳『世界文学全集6 ケニルワースの城』(1970・集英社)』『大和資雄著『スコット』(1955・研究社出版)』

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