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「スキタイ文化」の意味・わかりやすい解説
スキタイ文化【スキタイぶんか】
前6世紀―前3世紀に,黒海北岸を中心とする南ロシアの草原地帯に栄えたイラン系騎馬民族スキタイSkythaiによる文化。前6世紀に黒海北岸に国家を建設し,前4世紀に最も繁栄,前260年ころサルマート人に圧迫されて衰退した。ユーラシア草原地帯における最初の遊牧文化で,動物意匠を透彫風に表出した青銅器が特色,動物の姿態や狩猟のさまを表した貴金属製品も多い。こうした動物意匠はシベリア,モンゴル,中国北辺からも発見され,東西文化の交流を物語っている。
→関連項目狩猟文|動物意匠|ノイン・ウラ
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スキタイ‐ぶんか ‥ブンクヮ【スキタイ文化】
〘名〙 遊牧騎馬民族スキタイの文化。金、銀、
青銅などの金属器をもつ文化で、遊牧生活を反映して動物意匠を
基調とする独特な
美術を生んだ。
武器や
車馬具の
発達で知られ、その動的な鳥獣文様はスキタイ文様といわれる。とくに
造形美術の
様式はユーラシア内陸に広く伝わり、
東方、中国を経て、日本の美術にも影響を与えた。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
スキタイぶんか【スキタイ文化】
前7世紀から前3世紀にかけて黒海北岸の草原地帯を中心として成立した騎馬遊牧民族スキタイの文化。史上最古の騎馬遊牧民の文化の一つとして知られる。広義には,スキタイと同時代に北方ユーラシアにひろまった同様の騎馬遊牧民族の文化をも〈スキタイ文化〉と呼ぶ場合がある。 スキタイ文化の主要な遺跡は多数の高塚(クルガン)と集落址である。スキタイ高塚の発掘は18世紀に始まり今日に至るまで継続され,レニングラードのエルミタージュ美術館を中心に多くの金銀製の華麗な出土品が収集されている。
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