ジョンソン(Samuel Johnson)(読み)じょんそん(英語表記)Samuel Johnson

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ジョンソン(Samuel Johnson)
じょんそん
Samuel Johnson
(1709―1784)

イギリスの詩人、批評家、辞書編纂(へんさん)家。一般にドクター・ジョンソン(ジョンソン博士)とよばれる。書店の子としてイングランド中部の田舎(いなか)町リッチフィールドに生まれ、神童誉れが高かったが、頸部(けいぶ)リンパ節結核に悩み、そのため片方の目を失明容貌魁偉(ようぼうかいい)が一生彼を苦しめる。やがて心気症の激しい発作にも襲われるようになる。オックスフォード大学に学ぶが、中退。文学を志すも貧乏で世に出るのに苦労する。20歳年上の寡婦と結婚し、郷里の近くに私塾を開くが失敗。そこで教えた、のちに役者となるデイビッド・ギャリックとともにロンドンに出た。詩人たらんとしたが心ならずも雑文を書いて生活を支える。詩としては『願望のむなしさ』(1749)がもっとも優れている。『英語辞典』の計画、出版(1755)をめぐり、時の有力者チェスターフィールド伯とのいきさつが有名。初め伯に後援を求めて断られ、独力で着手、完成まぎわ、伯の側からの援助の申し出があったのを蹴(け)る。これを機にイギリスの出版は後援者と絶縁することになる。この『ジョンソン辞書』は、英語では最初の学問的辞書で、保守的な編集方針により標準英語の確立に貢献した。「からす麦=イングランドでは馬に食わせるが、スコットランドでは人間さまの食べ物」などといった人をくった定義があちらこちらにみられ、辞書の欠点とされたが、いまではかえってそういう箇所に人気がある。母の葬式の費用に困り、1週間で小説『ラセラス』(1759)を書き上げた。このころから文名が高まり、年金300ポンドを受け、文芸クラブをつくり、コーヒー店での談論を楽しみ、文壇大御所と称された。70歳近くなって『詩人伝』(1779~1781)に着手し、52人の伝記を書き上げる。イギリス伝記文学の白眉(はくび)、ボズウェルジョンソン伝』の伝える彼の人柄、不屈の意志、健全な良識などによって、広く敬愛される国民的理想の一人である。

[外山滋比古 2018年6月19日]

『永嶋大典著『ジョンソンの「英語辞典」――その歴史的意義』(1983・大修館書店)』

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