改訂新版 世界大百科事典 の解説
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ
Gentile da Fabriano
生没年:1370ころ-1427
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…1395年以前にピサに生まれ,幼いときに母の生地ベローナに移り,おそらく同地でステファノ・ダ・ゼビオStefano da Zevio(1374ころ‐?)について修業したものと思われるが,初期の作品にはアルティキエロAltichieroの影響も看取される。1415‐22年ベネチアに招かれ,パラッツォ・ドゥカーレでジェンティーレ・ダ・ファブリアーノが着手した連作壁画の制作を引き継いだ(作品は現存せず)。ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの影響は〈ベネディクトゥス伝〉を描いた4枚のパネル(ウフィツィ美術館)に顕著である。…
※「ジェンティーレダファブリアーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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