シンケル(英語表記)Karl Friedrich Schinkel

改訂新版 世界大百科事典 「シンケル」の意味・わかりやすい解説

シンケル
Karl Friedrich Schinkel
生没年:1781-1841

ドイツ新古典主義建築家。地方都市の宗教家の次男として生まれる。芸術的才能と精力的な活動を通じてプロイセン筆頭の建設官僚となり,またイタリア,イギリス等の旅行によって新旧の建築思想を吸収し,国際的建築家となった。19世紀初期のプロイセンは近代化と発展の時期であり,首都ベルリンの主要な建築物をシンケルが多数設計し,その都市景観を一変させた。青年期にジリー父子David Gilly(1748-1808),Friedrich G.(1772-1800)から新古典主義の建築設計技法を学んだ後,C.D.フリードリヒらのロマン主義絵画から影響を受け,建築家的感覚をもつ風景画家,またオペラ魔笛》などの舞台背景画家として名をなす。そのロマン主義的建築思想はゴシック様式の〈解放戦争記念大聖堂〉案(1815)などに現れ,総合芸術を媒介とする社会的な建築思想を形成。その後,新古典主義の合理主義思想へと転じ,ベルリンに新衛兵所(1818),シャウシュピールハウス(旧王立劇場。1821),アルテス・ムーゼウム(美術館。1830)の三つの代表作を建てた。産業革命などの時勢に敏感であると同時に,サンスーシ宮殿庭園内の別荘建築,シャルロッテンホーフ宮殿(1827)などでは農家モティーフをとりつつ絵画的造形美を達成し,また文化財保護活動を促進するなど,柔軟な思索と広範な活動で,高度の建築文化を確立した。多数の設計作品は《建築設計案集》(1819-41)として出版され,また建築アカデミー校長として多くの後継者を育て,教育・啓蒙にも尽くした。モニュメンタルな建築物を柱や梁などの基本的構成部材を用いて組み立てる明快な手法や,論理的かつ感受性豊かな造形精神は,P.ベーレンス,L.ミース・ファン・デル・ローエ,P.C.ジョンソンら20世紀の建築家にも影響を及ぼしている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シンケル」の意味・わかりやすい解説

シンケル
Schinkel, Karl Friedrich

[生]1781.3.13. ブランデンブルク近郊ノイルッピン
[没]1841.10.9. ベルリン
ドイツの建築家。新古典主義建築の代表者。ベルリン建築アカデミーに学び,D.ジリーとその息子 F.ジリーに師事,のちフランス,イタリアに留学して古典建築を研究した (1803~05) 。帰国後はナポレオンのプロシア侵略のため一時建築から離れ,ロマン派の画家,舞台装飾家として活動した。 1808年よりベルリンに住み,やがてプロシアのフリードリヒ・ウィルヘルム3世により,王室建築家に任命 (15) されたあとで,実際の建築活動を開始,ベルリン市のプロシア建築のディレクターとなり (30) ,多くの公共建造物を設計した。彼の新古典主義は,彼のロマン主義への指向の一部とも思われるが,古典研究による合理的設計は近代建築の発展に多大の影響を与えた。主著"Grundlagen der praktischen Baukunst" (2巻,34) 。主要建築にベルリン王立劇場 (18~21) ,ベルリン旧美術館 (23~28) ,ベルリン建築アカデミー (32~35) などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シンケル」の意味・わかりやすい解説

シンケル
しんける
Karl Friedrich Schinkel
(1781―1841)

ドイツの建築家、画家。3月13日ノイルピンに生まれる。ベルリン建築専門学校でギリーFriedrich Gilly(1722―1800)に学び、1803年ベネチア、ローマ、シチリア、パリに研究旅行し、美術に関する旅日記とスケッチを残す。05年ベルリンで絵画、舞台装飾に活躍。15年プロイセンの建築官となり、ベルリンの新守衛本部(1817~18)、同王立劇場(1818~21)、旧美術館(1822~28)などの設計で古典主義に立脚しつつ、近代建築に適合する合理的な形式美を追求して後世に強い影響を与えた。絵画ではロマン主義的傾向が顕著に認められる。41年10月9日ベルリンで死去した。

[野村太郎]

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百科事典マイペディア 「シンケル」の意味・わかりやすい解説

シンケル

ドイツの建築家,画家。1803年―1805年イタリアとフランスに遊学後,ベルリンで活躍。初め画家としてロマン的で理想化した風景画を描き,また,舞台装飾も手がけた。1815年ベルリンの土木総監督になり,このころから建築活動を始め,ドイツ新古典主義建築の代表的作家として大きな業績を残した。ベルリンの衛兵所,旧王立劇場,旧美術館など,ギリシア建築を規範とする純古典的建築を建造。またゴシック様式にギリシア的要素を結合しようとする試みもみられる。
→関連項目古典主義

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世界大百科事典(旧版)内のシンケルの言及

【ドイツ美術】より

…ウィンケルマンの《古代美術史》(1764)はこの風潮に思想的指針を与えた。 ドイツにおける古典主義の動向は,19世紀初頭のワインブレンナーFriedrich Weinbrenner(1766‐1826)のカールスルーエ都市設計に早くも具体化し,ベルリンのシンケルとミュンヘンのクレンツェがこれを受け継ぐ。前者の手になるベルリンのシャウシュピールハウス(旧王立劇場。…

※「シンケル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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