シルビオ・ベルルスコーニ(読み)しるびお・べるるすこーに

知恵蔵 の解説

シルビオ・ベルルスコーニ

イタリアの実業家、政治家。1936年9月29日、ミラノに銀行員の長男として生まれる。61年、ミラノ大学法学部を卒業。歌手や掃除機の販売業を経て、建設会社「エディルノード」を設立し、ミラノ近郊の住宅地開発事業で成功した。77年、労働騎士勲章を授与され、これにちなんで「イル・カバリエーレ(騎士)」と呼ばれるようになる。
78年、後にイタリア最大のメディア企業帝国「メディアセット」へと成長する地方ケーブルテレビ局「テレミラノ」、及び持ち株会社「フィニンベスト」を設立する。フィニンベストはベルルスコーニが個人資産として保有しており、「メディアセット」の他、イタリア最大手の出版社「モンダドーリ」や日刊紙「イル・ジョルナーレ」などを傘下に置く。ベルルスコーニがイタリアのメディア王と呼ばれるゆえんで、現在は国内のほとんどの民放局を独占している。86年には、セリエA所属のプロサッカークラブ「ACミラン」を取得。
94年、右派政党「フォルツァ・イタリア」を創立して政界に進出する。党名は、「がんばれイタリア」の意で、ACミランのファンが試合中に発する応援の歓声に由来する。
同年、総選挙で右派連合のリーダーとして勝利を収め、首相に就任したが、対立候補らがベルルスコーニの税金詐欺疑惑を申し立て、わずか7カ月で辞任
2001年、右派連合を率いて再び総選挙に勝利し、首相に返り咲く。04年、イタリア首相としての継続在任期間が第2次世界大戦後、最長を記録。06年の総選挙で左派連合のロマーノ・プロディに敗れたものの、08年、三たび首相の座に就いた。
しかし政権基盤の崩壊とともに、過去20年以上にわたって100件以上の裁判で2500回も法廷に立ってきたほどの自身の汚職スキャンダルへの追及が本格化し、さらにギリシャBBC危機に端を発してイタリアが経済不安に陥ったことから、国家財政緊縮法案のイタリア議会下院可決後に退陣を発表。11年11月13日、辞任が確定した。ローマの大統領官邸前には、ローマ市民が集まって、足かけ17年、実質10年にわたるベルルスコーニの時代の終焉(しゅうえん)を祝った。
ベルルスコーニは、今後も政治活動を積極的に行う意向を明らかにしているが、一方で、11年11月29日には、首相在任中は退いていたACミランの会長職に復帰する意向を明かした。

(葛西奈津子  フリーランスライター / 2011年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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