シューベルト(年譜)(読み)しゅーべるとねんぷ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シューベルト(年譜)」の意味・わかりやすい解説

シューベルト(年譜)
しゅーべるとねんぷ

1797 1月31日午後1時半、ウィーン北部リヒテンタールの自宅で生まれる
1808 帝室王立神学校の合唱隊員となる。終生の友シュパウンに出会う
1810 四手のためのピアノ幻想曲(D1)
1811 最初の歌曲『ハガールの嘆き』(D5)、最初のジングシュピール『鏡の騎士』(D11。未完
1813 交響曲第1番(D82)
1814 父の学校の助教員となる。10月19日歌曲『糸を紡ぐグレートヒェン』(D118)ほか、多くのゲーテ歌曲を生む
1815 シューベルティアーデ始まる。8月19日歌曲『野ばら』(D257)、10月歌曲『魔王』(D328)ほか200曲創作。生涯を通じて最多作の年となる
1816子守歌』(D498)。終生の友ショーバーや歌手フォーグルに出会う
1817 3曲のピアノ・ソナタ(D537、D568、D575)
1818 一家でグリューネルガッセに転居。2月最初の印刷譜『エルラフ湖』刊行。7~11月ハンガリーのエステルハージー伯爵家に音楽教師として赴任
1819 2月28日最初の歌曲コンサート。ピアノ五重奏曲「鱒(ます)」(D667)、フォーグルの推薦によりジングシュピール『双生子』(D647)
1821 4月2日『魔王』、4月30日『糸を紡ぐグレートヒェン』が友人らの手で出版
1822 幻想曲「さすらい人」(D760)、変イ長調ミサ曲(D678)。10月30日ショーバー宅で交響曲第7番「未完成」(D759)の創作開始
1823 5月入院。歌曲集『美しい水車屋の娘』(D795)、劇音楽『ロザムンデ』(D797)
1824 3月弦楽四重奏曲「死と乙女」(D810)。5~10月エステルハージー家へ
1827 3月29日敬愛するベートーベン葬儀参列。歌曲集『冬の旅』(D911)
1828 3月26日最初で最後の自作品によるコンサート。3月交響曲第8番「グレート」(D944)。9月から健康を害するが、3曲のピアノ・ソナタ(D958、D959、D960)を完成。本復せぬまま11月19日午後3時、死去。31歳
1829 歌曲集『白鳥の歌』(D957)刊行

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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