シュナイダー

百科事典マイペディア 「シュナイダー」の意味・わかりやすい解説

シュナイダー

オーストリア出身の俳優。ウィーン生れ。両親はともに俳優。《プリンセス・シシー》(1955年)でアイドルとして人気を得る。《恋ひとすじに》(1958年)で共演したA.ドロンと婚約。L.ビスコンティ演出・ドロン共演の舞台《あわれ彼女は娼婦》(1961年)やO.ウェルズ監督《審判》(1962年)で個性を確立する。ドロンとの婚約解消後一時低迷するが,《夏の夜の10時30分》(1965年)で復活し,ビスコンティ監督《ルートウィヒ 神々の黄昏》(1972年),J.ロージー監督《暗殺者のメロディ》(1971年),G.シムノン原作の《離愁》(1973年)などで陰影のある優れた演技を見せた。〈最後の真の映画スター〉とビスコンティが評したように,戦後のヨーロッパ映画を支えた女優の一人。後年は私生活に恵まれず,1982年睡眠薬の過剰服用による心不全で死去。

シュナイダー

オーストリアのスキーヤー。急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯を安全に滑り降りるためのアールベルク・スキー術を創案。1909年ザンクト・アントンにスキー学校を開設。1938年米国に移住,スキー教師としてスキーの普及に貢献した。《スキーの驚異》(1920年)は彼のスキー術を紹介した映画として著名。
→関連項目アールベルク[峠]ズダルスキー

シュナイダー

ドイツのカトリック作家。ナチス支配下で出版を禁じられたが宗教文書などを配布,第2次大戦末期に反逆罪で投獄された。小説,詩集のほか評論も多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「シュナイダー」の意味・わかりやすい解説

シュナイダー
Kurt Schneider
生没年:1887-1967

ドイツの精神医学者。ヤスパースとともに,臨床精神病理学の分野における記述現象学的方向の代表者とされる。主要な業績はおおむね第2次大戦前になしとげていて,人格の異常を10型に分類した《精神病質人格》(1923),異常宗教体験を疾病との関連でまとめた《宗教精神病理学入門》(1928),精神症状論を簡明に記述した《医師のための精神医学講義》(1933)などが挙げられ,1950年の主著《臨床精神病理学》も前記《医師のための精神医学講義》を発展させた第3版以後の表題である。戦争のため教職につくのは遅れたが,46年ハイデルベルク大学精神科の主任教授に就任し,多くの研究者を育てた(ハイデルベルク学派)。55年に退職したが,この間51年から52年にかけ同大総長となった。66年にはクレペリン賞を受賞し,ドイツ精神医学界最高の栄誉に輝いた。
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シュナイダー
Hannes Schneider
生没年:1890-1955

スキー指導法の創成者。オーストリアのシュトゥーベン出身。ノルウェー・スキー術とオーストリア・スキー術を結びつけたアールベルク・スキー術を考案した。1909年にザンクト・アントンにスキー学校を開設し,天才的なスキー指導で知られたが,38年ナチスのユダヤ人追放でアメリカに亡命,ノース・コンウェー(ニューハンプシャー州)を根拠地にアメリカのスキー発展に尽力,同地で病没した。30年に来日し,日本のスキー術に新たな進路を示した。主著に《スキートゥーリストDer Skitourist》(1913)があり,映画《スキーの驚異》(1920)に主演した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュナイダー」の意味・わかりやすい解説

シュナイダー
Schneider, Vreni

[生]1964.11.26. エルム
スイスのアルペンスキー選手。 1980年代後半から 1990年代にかけて活躍した女子選手で,オリンピック競技大会では回転大回転で計3個の金メダルを獲得した。スイス代表チームの一員として3度のワールドカップ (1989,1994,1995年) で総合優勝を果たし,10年連続で最終順位6位以内を維持した。回転で6冠,大回転で5冠の記録をもつ。 1989年にはシーズン中に開かれた回転のレースをすべて制覇し,史上最多の 14勝 (ワールドカップ 13勝,アルペン複合大会1勝) を達成した。 1988年のカルガリーオリンピック冬季競技大会では回転,大回転で優勝。 1994年のリレハンメル・オリンピック冬季競技大会でも回転で金,アルペン複合で銀,大回転で銅メダルを獲得した。 1995年,引退。ワールドカップでは通算 55勝をあげ,オーストリアの滑降選手アンネマリー・モザー=プレルに次ぐ記録を残した。

シュナイダー
Schneider, Erich

[生]1900.12.14. ウェストファーレン,ジーゲン
[没]1970.12.5. シュレースウィヒホルシュタイン,キール
ドイツの経済学者。ボン大学で J.シュンペーターに学び,卒業後,1936年デンマークのアールフス大学教授,46年キール大学教授,59~60年同大学学長をつとめ,61年以降同大学世界経済研究所所長。経済を構成する個別的経済主体の行動分析を重視し,寡占理論,限界生産力説の展開に関する研究にすぐれた業績を残している。主著には初期の著作『独占的経済体の純粋理論』 Reine Theorie monopolistischer Wirtschaftsformen (1932) のほか,社会会計論,ミクロ経済学マクロ経済学,経済学史の大著『経済理論入門』 Einführung in die Wirtschaftstheorie (4巻,47~62) がある。

シュナイダー
Schneider, Hannes

[生]1890. オーストリア,シュトゥーベンアムアルルベルク
[没]1955.4.26. アメリカ,ニューハンプシャー,ノースコンウェー
オーストリア出身のスキー指導者で,アルルベルク・スキー術の創始者。 1907年オーストリア西部のアルルベルク峠にあるザンクトアントンにスキー学校を開設して指導にあたった。スキーを逆V字形に開いて蛇行するプルークボーゲンから,足で制動させながら急回転するシュテムクリスチャニアへの移動が特徴のアルルベルク・スキーを独自に編み出し,一世を風靡した。第2次世界大戦前,ナチスのユダヤ人追放によりアメリカ合衆国に亡命。ノースコンウェーにスキー学校を創立し,アメリカスキーの発展に尽力した。映画『スキーの驚異』 (1920) を製作,同名の著書 (1924) とともに「アルルベルクのバイブル」として有名。

シュナイダー
Schneider, Alan

[生]1917.12.12. ロシア,ハルコフ
[没]1984.5.3. イギリス,ロンドン
ロシア生れのアメリカの演出家。本名 Abram Leopoldovich Schneider。ブロードウェーのほかワシントン D.C.のアリーナ・ステージなどで演出をし地域劇団で幅広く活躍した。 E.オールビーの『バージニア・ウルフなんかこわくない』 (1962) や,『動物園物語』 (65) ,『微妙な均衡』 (66) などが代表作。また,S.ベケットをアメリカに紹介した第一人者として知られ,『ゴドーを待ちながら』 (56) や『勝負の終り』 (58) などを演出した。

シュナイダー
Schneider, Konrad Victor

[生]1614. ビッテルフェルト
[没]1680. ウィッテンベルク
ドイツの解剖学者。 1639年からウィッテンベルク大学医学教授となり,終生その職にあった。粘膜,ことに鼻粘膜を研究し,シュナイダー膜 Schneider's membrane (鼻粘膜) を記載した。また,鼻汁は鼻粘膜から分泌されるものであることを証明して,下垂体から流下するというガレノス説を退けた。主著は『カタル論』 De Catarrhis (1660) 。

シュナイダー
Schneider, Reinhold

[生]1903.5.13. バーデンバーデン
[没]1958.4.6. フライブルク
ドイツのカトリック作家,詩人。キリスト教的ヒューマニズムの立場から,反ナチス的態度を貫き投獄された。歴史小説『カルル5世の御前のラス・カサス』 Las Casas vor Karl V (1938) ,評論『権力と恩寵』 Macht und Gnade (40) ,詩集『ソネット集』 Sonette (39) のほか,多くの歴史書がある。

シュナイダー
Schneider, Rolf

[生]1932.4.17. ケムニッツ
ドイツの作家。 1966年,東ドイツのレッシング賞受賞。小説『格子と橋』 Gitter und Brücke (1965) ,『11月/小説』 November.Roman (79) 。戯曲『ニュルンベルク裁判』 Prozess in Nürnberg (68) ,『ジュピター交響曲』 Jupiter-Sinfonie (73) など。

シュナイダー
Schneider, Arthur

[生]1876.11.15. ノイシュタット
[没]?
ドイツの哲学者。 1908年ミュンヘン大学員外教授,11年フライブルク,13年シュトラスブルク,20年フランクフルトアムマイン,21年ケルンの各大学教授。『アルベルツス・マグヌス』 Albertus Magnus (1927) をはじめ中世哲学に関する著書が多い。

シュナイダー
Schneider, Hermann

[生]1874.4.29. プフォルツハイム
[没]?
ドイツの哲学者。 1923~39年ライプチヒ大学教授。主著『宗教と哲学』 Religion und Philosophie (1912) ,『歴史哲学』 Philosophie der Geschichte (2巻,23) 。

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デジタル大辞泉プラス 「シュナイダー」の解説

シュナイダー

《SCHNEIDER》ドイツの文具メーカー。1938年創業。子ども用万年筆や、手ごろな価格の商品を多く発売。

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世界大百科事典(旧版)内のシュナイダーの言及

【スキー】より

…リリエンフェルト派といわれるもので,長い1本づえを用い,シュテムボーゲン(スキーのテールを開く制動による回転)を基本にしている。ノルウェー派とリリエンフェルト派の優劣をめぐる論争も起きたが,やがて両派は長所をとり入れ合い,オーストリアのアールベルクのスキー教師H.シュナイダーがアールベルク派といわれるアルプス・スキー術にまとめた。これがアルペン競技Alpineの基本技術で,アレーÉmile Allaisを中心とするフランス派なども現れて,アルペン競技はドイツ,スイスを含め発展していく。…

【症状精神病】より

…現在では躁鬱(そううつ)状態や分裂病様状態も加えられる。脳に主病変があるものは器質精神病,中毒性疾患は中毒性精神病として区別されるが,症状精神病との間に概念的な混乱をきたすので,これらを包括して身体的基礎のある精神病としてまとめることがある(K.シュナイダー,1950)。【石黒 健夫】。…

【心因反応】より

…しかし,一般にみることのできる心因反応の成立にあたっては,同様の心的刺激がすべての人に同様の反応を生じるとは限らないところからして,心因となる体験を受けた側の素因あるいは人格の要因も無視できないものである。ドイツの精神科医K.シュナイダーは正常者に生じうる体験にもとづく了解できる反応(体験反応)よりも,反応のしかたが過度であるとか,過度に遷延するような場合を異常体験反応(心因反応と同義)と呼んで,その成立には人格が関与することを強調した。心因反応を生じやすい人格としては,人格発達の未成熟な小児,精神遅滞,暗示性の高い人,偏執的人格などがある。…

【性格】より

…その代表的なものとしては,ユング(内向型と外向型),イェンシュE.R.Jaensch(統合型と非統合型),ファーラーG.Pfahler(固執型と流動型),シュプランガー(理論的人間,経済的人間,審美的人間,社会的人間,政治的人間,宗教的人間の6種型),エーワルトG.Ewald(反応類型),クレッチマー(体質学的類型)などがあげられる。また精神病質人格に関しては,クレペリンが主として心理学的特性と社会学的関係から神経質,興奮者,軽佻者,ひねくれ者,虚言欺瞞者,反社会者,好争者,衝動者に分けており,K.シュナイダーは主として臨床経験にもとづいて性格異常(精神病質)を〈自分自身が悩むもの〉と〈社会が悩まされるもの〉に分け10類型(発揚者,抑鬱者,自信欠乏者,熱狂者,顕示者,気分変動者,爆発者,情性欠如者,意志欠如者,無力者)を列挙している。レルシュP.Lerschは層理論を応用して性格を内部感情的基底と精神生活の上層構造とに二分し,それぞれについて詳細な分析を試みている。…

【ハイデルベルク学派】より

…こうした活動も30年代に入るとナチスによって禁圧され,メンバーは四散し,壊滅的打撃をこうむる。学派が再建されるのは第2次大戦後で,ヤスパースを師と仰ぐK.シュナイダーや,とりわけバイヤーW.R.von Baeyer(1904‐ )が中心となって人間学的方向をひらき,〈新ハイデルベルク学派〉と呼ばれる。【宮本 忠雄】。…

【犯罪学】より

…日本にも吉益脩夫の研究がある。K.シュナイダーは精神病質を〈人格の異常のために自身が悩むか社会が悩まされるもの〉と定義し,その類型化を行った。このシュナイダーによる精神医学の視点からの定義と分類は後に広く採用されるに至った。…

【欲動】より

…〈死の欲動〉について,フロイトの弟子たちの間に賛否両論を巻き起こし,その評価は一定していない。K.シュナイダーは欲動を分類して,(1)あらゆる体験に伴う欲動性,(2)身体的欲動(食欲,性欲,睡眠欲など),(3)心的欲動(権勢,成功,美,富など)としている。欲動は境界概念であるので,欲求あるいは本能として記述されていることとの関連が深く,マクドゥーガルW.McDougallの本能論も欲動論との関連において取りあげるべきものが多い。…

※「シュナイダー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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