シュタウフェン朝(読み)シュタウフェンちょう

百科事典マイペディア 「シュタウフェン朝」の意味・わかりやすい解説

シュタウフェン朝【シュタウフェンちょう】

中世ドイツの王朝。シュワーベン大公シュタウフェンStaufen家による。ホーエンシュタウフェンHohenstaufen朝とも。1138年から1254年まで事実上連続してドイツ国王位につき,神聖ローマ皇帝を輩出した。ザリエル朝ハインリヒ4世の死後,シュタウフェン家系のフランケン公コンラート3世が1138年ドイツ国王に選ばれて創始。ザリエル朝以後衰退していた王権の再興と帝国の栄光の回復を図り,12世紀後半フリードリヒ1世,フリードリヒ2世の時代が最盛期。その半面イタリア・シチリア経略に重心が移ったためドイツ本国の統治が閑却され,分裂と混乱を招き,1254年コンラート4世の死で断絶。以後大空位時代が現出した。
→関連項目ハイルブロンハインリヒ[6世]

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旺文社世界史事典 三訂版 「シュタウフェン朝」の解説

シュタウフェン朝
シュタウフェンちょう
Staufen

1138〜1208,1215〜54
神聖ローマ帝国の王家ホーエンシュタウフェン家ともいう
シュヴァーベン公家から出て,神聖ローマ帝国皇帝の位を占めた。1138年コンラート3世が皇帝に選ばれ,以後,フリードリヒ1世・フリードリヒ2世らを出したが,12世紀末から二重選挙を実施して王権が衰え,コンラート4世を最後に,1254年大空位時代にはいった。

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世界大百科事典 第2版 「シュタウフェン朝」の意味・わかりやすい解説

シュタウフェンちょう【シュタウフェン朝 Staufer】

中世中期ドイツの貴族家門。ホーエンシュタウフェン朝Hohenstaufenとも呼ばれる。11世紀末いらい13世紀中葉の一門断絶にいたるまでシェワーベン大公。1138年から1254年まで,事実上連続してドイツ国王位につく。その間,フリードリヒ1世ハインリヒ6世フリードリヒ2世という3世代の英主は,いわゆる神聖ローマ皇帝としてヨーロッパ的覇権樹立を目ざす。彼らの努力は結局挫折に終わるが,シュタウフェン諸帝の活躍は中世的皇帝権に最後の輝きを添えたものと評価されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュタウフェン朝」の意味・わかりやすい解説

シュタウフェン朝
シュタウフェンちょう

ホーエンシュタウフェン朝」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュタウフェン朝」の意味・わかりやすい解説

シュタウフェン朝
しゅたうふぇんちょう

ホーエンシュタウフェン朝

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