シャー・ルフ(読み)しゃーるふ(英語表記)Shah Rukh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャー・ルフ」の意味・わかりやすい解説

シャー・ルフ
Shāh Rukh

[生]1377.8.20. サマルカンド
[没]1447.3.12. フィシャーワルド
イランチムール朝第3代の王 (在位 1409~47) 。中国史料には沙合魯と音写される。チムール (帖木児)の第4子。チムール死後一族の間に内訌が起ったが,任地ヘラートにあったシャー・ルフは機をみてサマルカンドに入り,王位についた。彼は長子ウルグ・ベグ (兀魯伯)にサマルカンドをゆだねて,自分はヘラートを首都として,統治にあたり,一族の内訌を収め,また東方の明や西方のオスマン帝国と友好関係を結んでチムール朝の最盛期を現出させた。彼は政治家としてすぐれていたばかりでなく,学芸にも深い理解を示し,多数のすぐれた学者,文人,芸術家の保護者としても知られている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャー・ルフ」の意味・わかりやすい解説

シャー・ルフ
しゃーるふ
Shah Rukh
(1377―1447)

ティームール朝第3代の王(在位1409~47)。ティームールの第4子。初めはホラサーン地方の総督であったが、本人の予想に反して王位についた。軍事的才能もあったが、文化的素質が豊かで、父がもたらした中央アジア、西アジアの戦禍の復興に努力した。ヘラートを都とし、子のバイスンクルとともに学者、芸術家を保護し、図書館を建設した。一方、イラン、メソポタミア地方を支配するトルクメン王朝、黒羊朝(カラクユンル)や、自らの軍隊の不平分子と戦わねばならなかった。また、父が征服を志した中国、明(みん)朝とも親善関係を保ち、李達(りたつ)、陳誠(ちんせい)らの使者が来訪したのも彼の統治時代である。彼の比較的長い治世は、地方政権ながらも政治的安定と文化的繁栄をもたらした。彼の妻ガウハル・シャードは教養があり信心深い婦人で、よく夫を助けた。

[勝藤 猛]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シャー・ルフ」の解説

シャー・ルフ
Shāh Rukh

1377~1447(在位1409~47)

ティムールの第4子,ティムール帝国の第3代君主。父没後の混乱を収めてティムール帝国の再統一に成功イスラーム法を重んじ,一族,姻族で政権を固め平和外交に努めた。その治下では首都ヘラートを中心に都市宮廷文化が栄えた。

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367日誕生日大事典 「シャー・ルフ」の解説

シャー・ルフ

生年月日:1377年8月20日
チムール王朝第3代の王(在位1404〜47)
1447年没

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