シャーマン号事件(読み)シャーマンごうじけん

百科事典マイペディア 「シャーマン号事件」の意味・わかりやすい解説

シャーマン号事件【シャーマンごうじけん】

李朝末期の1866年9月,朝鮮大同江を遡上して平壌付近の羊角島で交易を求めた米商船ゼネラル・シャーマン号を朝鮮側が焼き払い,乗組員を惨殺した事件。同年3月の漢江近辺でのフランス艦隊襲撃事件と合わせて丙寅洋擾(へいいんようじょう)という。米国ではシャーマン号をゆくえ不明として1871年,調査のため艦隊を江華島に派遣したが,朝鮮の抗戦にあい退去した(辛未(しんみ)洋擾)。
→関連項目大院君李朝(朝鮮)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャーマン号事件」の意味・わかりやすい解説

シャーマン号事件
シャーマンごうじけん
Syǒǒmǒn-ho sakǒn

高宗3 (1866) 年9月 20日,朝鮮,平壌付近の羊角島で,アメリカ商船『ジェネラル・シャーマン』号が朝鮮の農民に焼打ちされた事件。『シャーマン』号はヨーロッパの雑貨を積んで,平壌で貿易を開くため,また平壌に散在する墳墓から宝貨を盗掘する内意もあって,大同江を上った。朝鮮側は退去を求めたが,強引に開港を迫り,軍使や船荷を拉致 (らち) した。しかし,江水の減水により座礁中,民衆に放火されて,全乗組員が焼死,溺死した。この事件でアメリカ政府は,翌年1月以降,アジア艦隊に交渉させること数度に及んだが黙殺され,同8年,江華島に軍艦3隻で出兵し,交戦した (辛未洋擾 ) が,ついに撃退され,開港交渉は失敗に終った。朝鮮王朝 (李朝) 側では,この事件によって一層鎖国政策を強化した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャーマン号事件」の意味・わかりやすい解説

シャーマン号事件
しゃーまんごうじけん

朝鮮、李朝(りちょう)末のアメリカ商船シャーマン号の焼き払い事件。1866年8月、ジェネラル・シャーマンGeneral Sherman号は朝鮮の開国を目的として宣教師を伴い、洋貨を満載して中国の天津(てんしん)を出発し、大同江口から平壌付近にさかのぼり、交易を求めた。朝鮮側は交易とキリスト教が国禁であるとして退去を求めたが、同船はこれに応ぜず、かえって発砲したため、憤激して同船を焼き払い、乗組員を殺害した。同船の行方不明に驚いたアメリカ政府は清(しん)国政府に調査を依頼し、さらにアジア艦隊を派遣したが、真相が把握できなかった。その後71年アメリカ艦隊はこの事件の結末をつけるため江華(こうか)島を一時占領したが、朝鮮軍民の抗戦にあい、撃退されて不成功に終わった。

[朴 慶 植]

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世界大百科事典(旧版)内のシャーマン号事件の言及

【洋擾】より

…いずれも大院君政権(1863‐73)の鎖国攘夷政策(衛正斥邪)の下で起きた。丙寅洋擾は1866年(丙寅の年)の二つの事件,ゼネラル・シャーマン号事件とフランス艦隊襲撃事件の総称である。前者は,同年9月にアメリカの武装商船のシャーマン号が交易を求めて大同江を溯上し,交戦の末,平壌付近で焼き沈められ,乗組員全員が死亡した事件である。…

※「シャーマン号事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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