精選版 日本国語大辞典 「シャージャハーン」の意味・読み・例文・類語
シャー‐ジャハーン
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インド,ムガル帝国第5代皇帝。在位1628-58年。第4代皇帝ジャハーンギールの子で,晩年の父とは対立しデカンに退いていたが,1627年秋,父が死ぬと翌年初めアーグラで帝位を継いだ。これに先だつ1612年,宮廷貴族中もっとも金持で権勢のあったアーサフ・ハーンの娘ムムターズ・マハルと結婚した。シャー・ジャハーンの治世は,内政面ではムガル帝国時代でもっとも安定した時期であった。外政面では,デカンのアフマドナガル王国を併合するなど領土を拡大するが,サファビー朝ペルシアと争ったアフガニスタン南部のカンダハールの奪取には失敗した。晩年は皇子の間に帝位継承戦争がおこり,アウラングゼーブによって廃位させられた。なお,アーグラにあるタージ・マハルは,31年に死去した妃のために造らせたものである。
執筆者:小名 康之
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…続いてスール朝のシェール・シャーにより1541年建設され,ムガル朝第2代皇帝フマーユーンにより改修されたのがプラーナー・キラーで,フマーユーンはここで死去し,その南方にあるフマーユーン廟に葬られた。 彼以後ムガル朝の首都はデリーを離れたが,第5代皇帝シャー・ジャハーンはアーグラからデリーに首都を移し,シャージャハーナーバードを建設した。これが現在残るオールド・デリーである。…
…ビシャン・ダースBiṣan‐Dās,アブール・ハサンAbū’l Ḥasan,マンスールManṣūrらの画家がことに著名である。シャー・ジャハーン(在位1628‐58)の治世には,皇帝が絵画よりも建築を愛好し,画家たちは地方に拡散した。表現は繊細さを増したが,活力を失い類型的なものが多くなった。…
※「シャージャハーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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