シャンパーニュ(フランス)(読み)しゃんぱーにゅ(英語表記)Champagne

翻訳|Champagne

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

シャンパーニュ(フランス)
しゃんぱーにゅ
Champagne

ランス北東部の歴史的地域名、旧州名。歴史的には現在のアルデンヌ、オート・マルヌ、オーブ、マルヌの4県のほか、エーヌ、セーヌ・エ・マルヌ、ムーズ、ヨンヌ各県の一部が含まれるが、現在は前4県でシャンパーニュ・アルデンヌという行政地域を構成している。地区の面積は2万5606平方キロメートル、人口134万2363(1999)。現在のシャンパーニュ地方の中心都市はシャロン・アン・シャンパーニュで、旧州時代はトロアであった。ブドウの大栽培地域(面積3万5000ヘクタール)で、年間1億5000万本のぶどう酒を生産する。人口密度は1平方キロメートル当り約50人と低く、フランス全体の半分にすぎない。しかし第二次世界大戦後、人口は約25%増加した。小麦大麦トウモロコシオート麦の穀物栽培を主とし、大量の肥料を使用する機械化経営が卓越する。ぶどう園は面積的には広くはないが、農業収入に占める割合は高い。牧畜はオート・マルヌ県アルデンヌ県などの湿潤な地域において卓越する。工業は、鉱山資源やエネルギー資源が乏しいため盛んではなく、織物、精錬業がある程度である。ランス、エペルネ、シャロン・アン・シャンパーニュを結ぶ三角形が発展の中心であり、鉄道、道路の要衝をなす。マルヌ県の東西を東部高速道路が通過し、発展に寄与している。

[大嶽幸彦]

歴史

ローマのカエサルガリア征服当時、この地方にはベルガエ系とケルト系の諸部族が居住していた。ローマ帝政時代には道路網が発達してガリアの交通の要衝となり、帝政後期にはランス、サンスが重要な行政中心地となった。フランク人の征服後、この地域は分王国によって繰り返し分割された。6世紀末にはランスを中心にシャンパーニュ公領がつくられたが、8世紀には消滅する。教会組織においても、この地域はランス、サンスの両大司教管区に分かれており、行政的統一は存在しなかった。フランク王国の分裂とともに大部分は西フランク王国に帰属し、10世紀にはランス、ランを中心とした地域は末期カロリング朝の拠点となった。この時期にまずベルマンドア伯家がカロリング家と争いつつ、この地方に勢力を伸ばした。ついでブロア伯家が進出し、11世紀初めにモー、トロア両伯領を獲得して南方に勢力を拡大する。その支配圏が11世紀末にはシャンパーニュ伯領とよばれるに至り、後のシャンパーニュ州の原型となった。

 伯はブロア、シャルトル地方をあわせもつ強大な封建諸侯であり、11、12世紀にはカペー朝をしばしば脅かした。すでに10、11世紀において、トロア、プロバン、ラニー(現ラニー・シュル・マルヌ)などの都市に大市が存在したが、12世紀にはこれらの大市が歴代の伯によって整理統合され、綿密に組織されたシャンパーニュの大市が成立した。ここでは毛織物をはじめとする北方物産と、イタリア都市が仲介する東方物産、地中海物産とが取引され、さらに金融市場の機能をも兼ね備えてヨーロッパ各地から商人を集め、14世紀初めまで繁栄を続けた。1274年、相続者が後のフィリップ4世と結婚することにより伯領はカペー家に帰属し、1361年には制度的にも王領に統合された。アンシャン・レジーム期には州を構成していたが、州三部会も高等法院も存在せず、政治的まとまりは弱かった。西部の農業生産は17世紀に衰退したが、ぶどう酒のみはその後に国際的評価を受けるに至った。

[江川 温]


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