シャルル8世(読み)シャルルはっせい(英語表記)Charles VIII

改訂新版 世界大百科事典 「シャルル8世」の意味・わかりやすい解説

シャルル[8世]
Charles Ⅷ
生没年:1470-98

バロア朝第7代のフランス国王。在位1483-98年。ルイ11世の子。13歳で即位した当初,姉アンヌとその夫ピエール・ド・ボージューの摂政下におかれた。1491年,ブルターニュ公女で公領相続者のアンヌ・ド・ブルターニュと結婚,ブルターニュを王領とした頃から親政へ移行。彼はナポリに対するアンジュー家の権利の後継者という口実でイタリアに遠征(1494-95),ミラノ公ロドビコの手引きもあって,ほとんど無抵抗のうちにナポリに進出,その後,教皇皇帝ベネチア,ミラノ,アラゴン,カスティリャの同盟軍に敗れて帰国した。嗣子なくして没し,以後バロア・オルレアン家が王位を継承する。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャルル8世」の意味・わかりやすい解説

シャルル8世
シャルルはっせい
Charles VIII

[生]1470.6.30. アンボアーズ城
[没]1498.4.8. アンボアーズ城
フランス王 (在位 1483~98) 。ルイ 11世の子。幼少で即位し,姉アンヌ・ド・フランス (ボージュー) が後見した。貴族反乱が生じたが鎮圧 (88) 。アンヌ・ド・ブルターニュを妃とし,ブルターニュを王領に編入。 1492年から親政。時代錯誤の栄誉を追う性癖があり,ナポリ王国を要求,ひいては東ローマ皇帝となることを夢想し,イタリアに出兵 (94) ,第1期イタリア戦争契機となった。ナポリに入城したが,オーストリア,ミラノ,ベネチア,教皇から成るベネチア同盟の反撃を受けて撤兵した (95) 。再度の出兵を準備中,アンボアーズ城内で事故死。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シャルル8世」の解説

シャルル8世(シャルルはちせい)
Charles Ⅷ

1470~98(在位1483~98)

フランス国王。ルイ11世の子。13歳で即位,姉アンヌ・ド・ボージューが摂政,反乱諸侯を鎮圧(1488年)。1491年アンヌ・ド・ブルターニュと結婚してブルターニュを王領に併合,以後親政。94~95年イタリアに遠征してナポリに入城,ヴェネツィアをはじめ全イタリアの反撃により退却したが,フランス・ルネサンスの契機となった。一子を失い,彼の死とともに直系ヴァロワ朝断絶

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367日誕生日大事典 「シャルル8世」の解説

シャルル8世

生年月日:1470年6月30日
フランス王(在位1483〜98)
1498年没

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世界大百科事典(旧版)内のシャルル8世の言及

【イタリア戦争】より

…15世紀末から16世紀半ばにかけて,政治的統一を欠くイタリアの支配権をめぐり,フランス王家とハプスブルク家との対立を軸として展開された大規模な国際紛争。発端は,ナポリ王国の継承権を主張するフランス国王シャルル8世のイタリア侵入(1494)である。しかし,これに対して,フランスの進出を嫌うベネチアなど北イタリア諸国,スペイン,神聖ローマ皇帝,ローマ教皇ユリウス2世,イギリスが同盟を結んだため,シャルルはイタリアからの退却を余儀なくされた。…

【ナポリ王国】より

… 15世紀末からフランスがアンジュー家以来の権利を主張してナポリを支配しようとした。シャルル8世の遠征(1494‐95)に続いて,ルイ12世は1501年にナポリへ侵入し王国を手中に収めたが,介入したスペイン軍によってわずか3年でナポリを追われた。1504年にスペイン,フランス両国間で妥協が成立し,スペインのフェルナンド2世がナポリ王に即位した。…

※「シャルル8世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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