シャリーフ朝(読み)しゃりーふちょう

世界大百科事典(旧版)内のシャリーフ朝の言及

【モロッコ】より

…その後,マリーン朝(1196‐1465),ワッタースWaṭṭās朝(1472‐1549)を経て,オスマン帝国の勃興期に入るが,モロッコは他のマグリブ諸国と異なってその支配下に入らなかった。それぞれ16世紀と17世紀に興ったサード朝とアラウィー朝は,いずれも国王が預言者ムハンマドの血筋を引くこと(シャリーフ)を正統性の根拠としており,まとめてシャリーフ朝と呼ぶことがある。アラウィー朝の下で19世紀半ばからヨーロッパ諸国の進出が本格化し,1912年にはフランスの保護領となった。…

※「シャリーフ朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」