シャリアピン

精選版 日本国語大辞典 「シャリアピン」の意味・読み・例文・類語

シャリアピン

(Fjodor Ivanovič Šaljapin フョードル=イワノビチ━) ロシア声楽家。一九世紀末から二〇世紀前半にかけて、豊かな声量と革新的演技世界最高といわれたバス歌手。特に「ボリス‐ゴドゥノフ」の名演有名。昭和一一年(一九三六)日本にも来演。(一八七三‐一九三八

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デジタル大辞泉 「シャリアピン」の意味・読み・例文・類語

シャリアピン(Fyodor Ivanovich Shalyapin)

[1873~1938]ロシアのバス歌手。独学声楽習得。幅広く深い声量と独特な演技力で知られる。

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百科事典マイペディア 「シャリアピン」の意味・わかりやすい解説

シャリアピン

ロシア(ソ連)のバス歌手。20世紀最高のバス歌手の一人。カザンの貧しい家庭に生まれ,少年時代から職を転々とする中でゴーリキー交友。正規の音楽教育を受けないまま地方回りの歌劇団に参加。19歳で初めて正規に声楽を学び,ペテルブルグモスクワオペラの舞台に上る。1901年ミラノスカラ座,1907年ニューヨークメトロポリタン歌劇場に出演。1908年,ディアギレフのプロデュースによるパリオペラ座での公演で《ボリス・ゴドゥノフ》(ムソルグスキー)のタイトルロールを歌い,世界的名声を獲得。1913年にはロンドンのコベント・ガーデン王立歌劇場に登場し驚異的成功をおさめた。並外れた声量と美声に加え演技にも秀で,生涯の当たり役となった《ボリス・ゴドゥノフ》をはじめとするロシア物のほか,イタリアやフランスのオペラにも名唱を残した。1922年以降故国には戻らず,1935年に引退晩年はパリに暮らした。1936年に来日。→カルーゾー

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改訂新版 世界大百科事典 「シャリアピン」の意味・わかりやすい解説

シャリアピン
Fyodor Ivanovich Shalyapin
生没年:1873-1938

ロシアのバス歌手。はじめ教会の聖歌隊や地方の小歌劇団で歌っていた。その後,しだいに名声を高めていって,ペテルブルグやモスクワの大歌劇場で歌い,やがて世界的な大歌手として活躍した。豊かにひびく声と劇的表現に独自のものがあった。イタリア・オペラやフランス・オペラでのバスの役がらも得意にしていたが,とくに高い評価をえていたのはロシア・オペラでのバスの役がら,とりわけ《ボリス・ゴドゥノフ》のタイトル・ロールであった。レコードも数多く残されているが,そこではまさにシャリアピンならではの独自の個性的な表現をきくことができる。さらに演技者としても秀でていたので映画にも出演した。1922年以降,ソ連にはもどらず,35年にニューヨークでの演奏会を最後に引退,36年に来日。パリで没したが,84年,遺骨は故国に迎えられた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャリアピン」の意味・わかりやすい解説

シャリアピン
しゃりあぴん
Фёдор Иванович Шаляпин/Fyodor Ivanovich Shalyapin
(1873―1938)

ロシアのバス歌手。カザンの貧しい家庭に生まれ、ほとんど独学で声楽を習得。教会の聖歌隊や地方の小歌劇団で歌ったのち、ペテルブルグのマリンスキー劇場を経て、1896年以後モスクワで『ボリス・ゴドゥノフ』などのオペラに出演、名声を確立した。89年から1914年までボリショイ劇場専属歌手を務めながらミラノのスカラ座をはじめ欧米の主要歌劇場で歌った。18年以後マリンスキー劇場の芸術監督。22年パリに移住、以後西欧中心に活躍し、36年(昭和11)来日。広い声域とレパートリーを有したが、とくに『ボリス・ゴドゥノフ』などのロシア・オペラに、深い人間味と豊かな芸術性を備えた解釈を示した。衣装、演出なども手がけ、『ドン・キホーテ』などの映画にも出演し、パリに没した。

[美山良夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャリアピン」の意味・わかりやすい解説

シャリアピン
Shalyapin, Fëdor Ivanovich

[生]1873.2.13. カザン
[没]1938.4.12. パリ
ロシア生れのバス歌手。 20世紀初頭に活躍し,世界最大とうたわれた名歌手。農民出身で正規の音楽教育は受けていないが,1890年美声を認められ,地方オペラに入団。2年後ウサトフに教育を受け,またたく間にモスクワの劇場で主役を演じるまでにいたった。 1901年スカラ座,07年メトロポリタン歌劇場,13年にはロンドンにデビューした。ロシア歌劇を広めた功績は大きく,特に『ボリス・ゴドゥノフ』の名演は絶賛された。この作品は彼によって初めて生命が与えられたとまでいわれる。自叙伝『私の生涯のページ』 (1926) ,『人と仮面』 (32) は有名。 36年初来日。

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世界大百科事典(旧版)内のシャリアピンの言及

【ボリス・ゴドゥノフ】より

…作曲者の死(1881)後,まもなく上演曲目から外されたが,96年にリムスキー・コルサコフが全面的に改訂した版を出版した。シャリアピンがボリスを当り役として世界的に親しまれるようになった。1928年に原典版の出版もあったが,現在でも一般にはリムスキー・コルサコフの版が基本になっている。…

【レコード】より

… 円盤式レコードの本格的な商品化は94年末以降であるが,円盤式は大量生産性と,取扱いや保管の容易さで,円筒式とのはげしい競争に打ち勝っていった。イギリス・グラモフォン社のプロデューサー,ガイズバーグFred Gaisbergが行った1901年のシャリアピンの録音,さらに02年のカルーゾーの録音のそれを上回る成功は,オペラ歌手による声楽録音の全盛時代をもたらした。器楽の録音はピアノやバイオリン独奏の小品が主であった。…

※「シャリアピン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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