シャモ地(読み)しゃもち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャモ地」の意味・わかりやすい解説

シャモ地
しゃもち

和人地

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のシャモ地の言及

【蝦夷地】より

…さらに鎌倉期以降は,蝦夷=エゾ=アイヌという概念がほぼ定着するとともに,対象地域も主として北海道以北の地を指すようになった。 こうして近世には,蝦夷=エゾ=アイヌ,蝦夷地=北海道および南千島(のち樺太も含む)という概念が定着したが,狭義には,北海道南部の和人地(松前地,シャモ地ともいう)以北の地を指す。これは,松前藩が領内統治策の一つとして,蝦夷地と和人地を厳密に区分し,その境に番所(西は熊石番所,東は亀田番所,のち山越内番所)を置いて,アイヌおよび和人の往来を取り締まり,和人の蝦夷地への定住,アイヌと和人百姓との直交易などを厳禁し,原則としてアイヌの居住地は蝦夷地,和人の定住地は和人地としたことによる。…

【蝦夷地交易】より

…その後諸豪族を統一した蠣崎(かきざき)氏(のち松前氏と改姓)は安東氏の代官となって事実上蝦夷地交易を独占し,蝦夷地へ出入りする商船に課税し,その一部を安東氏に上納したが,1593年(文禄2)豊臣秀吉,1604年(慶長9)徳川家康よりそれぞれ蝦夷地交易の独占権を公認されてここに松前藩が成立した。 松前藩は,この独占的交易を実現するため,領域を蝦夷地(アイヌ居住地)と和人地(松前地・シャモ地ともいう,和人の居住地。和人とは,内地出身者をさす北海道史の用語)に区分し,和人地以北の蝦夷地を封建支配者層の独占的交易の場としたうえで,各地に交易場としての商場(あきないば)を設置し,その多くを上級家臣に知行としてあてがい,松前三湊(松前,江差,箱館)に沖口番所を設置して出入り商船,荷物,人物などを取り締まった。…

【和人地】より

…松前地,日本人地,シャモ地(人間地とも表記)ともいう。松前藩が蝦夷島統治策の一つとして,和人の定住地,村の所在地と規定した蝦夷島南部の一定地域のこと。…

※「シャモ地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」