シベリア・中央アジア神話(読み)しべりあちゅうおうあじあしんわ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

シベリア・中央アジア神話
しべりあちゅうおうあじあしんわ

ウラル山脈から太平洋に至る北アジアの広大な地域には、先史時代からさまざまな先住民がおり、20世紀初頭までは多かれ少なかれ固有の文化的伝統を保持してきた。その経済的基盤は自然環境によって異なるが、大まかにいえば、極北のツンドラ地帯ではトナカイ牧畜、北東シベリアでは海獣狩猟、中部の森林地帯では採集狩猟や漁労、南部のステップおよびモンゴル、中央アジアの乾燥地帯では農牧や遊牧牧畜が主であった。社会組織についてみると、シベリアの先住民では大規模な社会集団の統合がなされなかったのに対し、南ステップ、乾燥地帯では古代から政治的な統合や分裂が繰り返され、さまざまな国家の興亡盛衰があった。言語については、北東シベリアでは古アジア諸語、中央および東シベリアではツングース語系の言語、モンゴルではモンゴル語、ブリヤートではブリヤート語、南シベリアから中央アジアではチュルク語系の言語が支配的であった。また、古代から先住民の諸集団は絶えず大小の移動を繰り返し、互いに接触混交した。このようなさまざまな文化的要因や歴史的背景は神話をはじめとする口承文芸に反映しており、口承文芸はそれ自体研究の対象であるが、同時にユーラシアの文化史の解明にとって重要な手掛りともなる。つまり、口承文芸は本来それをもつ集団の歴史であり、日常生活の規範であり、精神的な糧(かて)でもある。また、しばしばシャーマニズムと深く結び付き、その世界観を反映していたり、シャーマンが伝承者として重要な役割を果たしていることがある。

[荻原眞子]

北東シベリア

カムチャツカ半島、チュコト半島地域の古アジア諸民族(チュクチコリヤークイテリメンエスキモーなど)においては、地上世界を造成し、人間や動物を創造し、光明や火をもたらす創造神、文化英雄として至高神やワタリガラス、兄妹神などが登場する。そのうちワタリガラスは、動物説話や昔話のなかでは道化者もしくはトリックスターとなり、また、英雄物語や歴史伝承ではその主人公となるなど、非常に特異な存在である。このような多様な相貌(そうぼう)をもつワタリガラスの神話は、北アメリカの太平洋岸の先住民(トリンギトハイダ、チムシアンなど)にも認められ、ベーリング海峡を挟んだ北太平洋沿岸地域に共通する文化的な特徴の一つとなっている。

[荻原眞子]

極東地域

アムール川流域、沿海州、樺太(からふと)(サハリン)は東アジアと北アジアの民族的・文化的な潮流の交点であり、ここには多様な文化複合が認められる。創世神話では、原初に複数の日月があったという射日神話や兄妹婚神話がある。この二つの神話の分布は韓国、中国南西部、東南アジア、台湾などまで広く南に及んでいる。人間とクマやトラなどさまざまな動物との交婚譚(たん)、また、無名孤高の英雄(メルゲン)を主人公とする英雄物語などは、この地域の大きな特徴をなしているが、英雄物語についてはモンゴルとの関連も考えられる。

[荻原眞子]

中央・東シベリア

エニセイ川以東の森林ステップやタイガ地域は狩猟民エベンキの世界であったが、その口承文芸は多様なジャンルを含み、また、地域差にも富んでいる。世界の創造にあたる2人の兄弟神は善と悪、天上界と地上界を象徴する二元論的性格をもち、また、世界は天上、地上、地下の3層からなるという観念も明らかである。動物説話ではキツネが重要な存在である。英雄物語や氏族伝説には異なる氏族や民族との対立や抗争などの史実が投影されていると考えられ、古い時代の社会生活や民族的移動のありさまを知ることができる。

[荻原眞子]

西シベリア

エニセイ川の左岸地域、オビ川の中流域からウラル山脈にかけての地域には、ウラル語系の諸民族(ネネツ、エネツ、ガナサン、セルクープ、ハンティ、マンシや言語学上はこれと別系統のケット)がおり、トナカイ牧畜や狩猟漁労によって生活を営んでいた。創世神話の特徴としては大地創造にあたっての鳥の潜水モチーフ、英雄による月や太陽の解放、宇宙を象徴する巨大なトナカイやオオジカのモチーフなどが顕著で、フィンやサーミなど他のウラル語系諸族の神話と多くの共通点がある。また、ケットの神話では、天神エシ、地上の女神ホセデムを頂点として全体で6段階のピラミッド構造が想定されているが、このような特徴はこの地域の他の諸民族の神話にも当てはめられる。

[荻原眞子]

中央アジア

モンゴル語系、チュルク語系の遊牧民の世界では国家形成がなされ、また土着の文化や信仰にはチベット文化、仏教、イスラム教が浸透した。そのような背景のもとに民族や国家の始祖神話や英雄叙事詩が育まれ、語り継がれてきた。始祖神話の特徴として、始祖がオオカミ(モンゴル、古代チュルクの高車(こうしゃ)、突厥(とっけつ))、ウシ(オグズ、ブリヤート)、イヌ(キルギス)、ウマ(レナ川流域のサハ)であったとする獣祖神話、それらが天命を受けて地上に降下したとする「天降(あまくだ)り」のモチーフ、また、始祖が精気を受けて懐妊した母祖から生まれたという感精型神話があげられる。異なる民族や部族との闘争を織り込んだ英雄叙事詩は多くの民族にも認められるが、代表的なものとしてはモンゴル、ブリヤート、カルムイクの「ゲセル」「ジャンガル」、チュルク語系諸族に共通の「アルパミシュ」、キルギスの「マナス」、トルクメンの「ギョル・オグルィ」、サハの「オロンホ」などの物語がある。

[荻原眞子]

『松村武雄編『世界神話伝説大系10 シベリアの神話伝説』(1979・名著普及会)』『ミシェル・パノフ、大林太良著、宇野公一郎・大林太良訳『無文字民族の神話』(1985・白水社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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