シク教
しくきょう
Śikkhism
ヒンドゥー教から派生した宗教の一つ。ナーナク(1469―1538)を開祖とし、パンジャーブ地方を中心に今日でも強い勢力をもつ。「シク」はシク教徒のことであるが、本来は「弟子」の意味。シク教徒は、グル(師、法主)の忠実な弟子であると考えられているからである。グルは、歴史上の人物としては10代を数える。
シク教の特徴は、一介の織工であり続けながら、神の内在性をラディカルに訴えた宗教詩人カビールの影響の下に、ヒンドゥー教とイスラム教を批判的に統合した点にある。シク教の最終目標は、ヒンドゥー教と同じく、輪廻(りんね)から解脱(げだつ)し、神と合一することであるが、ヒンドゥー教的な儀礼と修行にほとんど価値を置かない。また、ヒンドゥー教の根幹をなすカースト制を否定し、イスラム教のような強固な同朋(どうぼう)主義を唱える。第4代のグル・ラームダース(1534―81)が、第5代のグルに三男のアルジュンを指名して以来、グルは世襲制となった。このころから、ムスリム(イスラム教徒)政権であるムガル朝との緊張が高まり、グルが迫害、拷問を受けて死に至るという凄惨(せいさん)な事件が起こるようになった。このため、シク教団はしだいに軍事色を強めていき、第10代のグル・ゴービンド・シング(在位1675~1708)は、ついに軍事集団カールサー(純粋)党を結成し、党員は頭文字にKがつく五つのもの、つまり、ケーシュ(髪、髭(ひげ))、カンガー(櫛(くし))、カッチュ(短袴(たんこ))、カラー(腕輪)、クリパーン(懐剣)をつねに備え、名前の最後に「シング」(獅子(しし)の意)をつけなければならないとした。彼はムガル朝との戦いのなかで子をすべて失い、自らも対立部族の手で暗殺された。もはや後継者がいなかったため、彼の遺言に従い、シク教の聖典『グラント・サーヒブ』がグルとされた。そのため、この聖典は『グル・グラント・サーヒブ』ともよばれる。シク教徒はパンジャーブ地方を中心に一大王国を建設したが、1849年イギリスとの戦いで滅ぼされた。
[宮元啓一]
『K・シン著、斎藤昭俊訳『インドのシク教』(1980・国書刊行会)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
シク教【シクきょう】
インドの北西部,パンジャーブ地方に興ったヒンドゥー教とイスラムを批判的に統合した宗教。シクsikkhとは〈弟子〉に由来する。開祖で初代グル(師)ナーナクNanak〔1469-1538〕は,唯一永遠の神を強調,偶像崇拝を排し,カーストの差別を否定。彼以後10人のグルが出た。第5代アルジュン・シン〔1563-1606〕は,根本聖典《グラント・サーヒブ》を編集し,アムリットサルに黄金寺院を建立した中興の祖だが,ムガル帝国の弾圧により死亡。以後,シク教団の反イスラム色が強まり,第10代ゴービンド・シン〔1666-1708〕は軍事的宗教団体カールサーを組織してムガル朝と抗争した。19世紀にシク王国を築いたが,英国支配に反抗してシク戦争を起こした。1947年のインド・パキスタン分離独立時にはシク教徒はインド帰属を選んだ。その後パンジャーブ語州の創設や自治権を求めて,パンジャーブ問題に発展した。シク教徒の政党としてはアカーリー・ダルなどがある。約1810万人の信徒がいる(1990)。
→関連項目アウラングゼーブ|カビール|ガンディー|グル|シアールコート
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
シク教
シクきょう
Sikhism
インドの一宗教。 15世紀成立。イスラムとヒンドゥー教とを融合したもので開祖はナーナク。シクとはサンスクリット語で弟子を意味する śiṣyaに由来する。ナーナクはカーストの差別と偶像崇拝を禁止し,唯一神を信仰した。第 10代グル (師) ,ゴービンド・ラーエのとき教団の軍隊化を完成,これに伴いシク教はラーエに従うシング (獅子) 派と,従来の平和的な教義を守るサハジダーリー (易行) 派とに分裂した。以後ムガル帝国とイスラム教徒との抗争を通して勢力を拡大し,18世紀末にはパンジャブ地方を中心として独立王国を建設,それは 19世紀中頃シク戦争によりイギリスに倒されるまで続いた。 20世紀に入ると反英闘争を展開し,インド独立の重要な推進力となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
シク教
シクきょう
Sikhism
イスラームの影響下にヒンドゥー教から派生した折衷的な宗教
16世紀初期,パンジャーブ地方を中心としてヒンドゥー教徒のナーナク(1469〜1538)が創始し,一神教を唱えて偶像崇拝やカースト制度を否定した。17世紀にはムガル帝国の迫害を受け,教団はしだいに軍事的傾向を帯びた。19世紀初期,信徒を組織化したランジート=シングがカシミールを合わせて王国を建てた。彼の死後イギリスと争って敗れ(シク戦争),全パンジャーブはイギリスに併合された。シクとはヒンディー語で「弟子」をいい,最初の帰依者に名づけたのに始まる。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
シク‐きょう ‥ケウ【シク教】
〘名〙 (シクはSikh) 北部インドに普及した宗教の一つ。一五世紀末、ナーナク(Nānak)がヒンドゥー教にイスラム教をとり入れて創始。唯一の神を信じて偶像崇拝を禁じ、カースト制度を否定。いかなる
階層、
職業のものも、神との合一によって解脱
(げだつ)が得られるとした。
シーク教。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「シク教」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
シクきょう【シク教】
ナーナク(1469‐1538)を開祖とするインドの有力な宗教。シーク教とも呼ばれる。〈シクsikkh〉というのは,サンスクリット語の〈シシヤśiṣya〉に由来することばで,〈弟子〉を意味する。シク教徒は,ナーナクをはじめとするグルguru(師。とくにシク教の場合には法主)の忠実な弟子であると考えられているからである。そのグルは,歴史上の人物としては第10代まで続く。 シク教の教義の特徴は,ヒンドゥー教とイスラムとを批判的に統合したという点にある。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内のシク教の言及
【インド】より
… 宗教面にもこの地域の多様性は容易に見てとれる。インドを例にとると,ヒンドゥー教,シク教,ジャイナ教,仏教があり,またそのほかに各部族のそれぞれの宗教形式がある。中世以降に流入,伝播したものは,イスラムとキリスト教がおもなものである。…
【ナーナク】より
…中世インドの宗教家。ヒンドゥー教とイスラムを統合したシク教の開祖。パンジャーブ地方の中心都市ラホール近郊のタルワンディ村の小農の子として生まれた。…
【パンジャーブ】より
…これによって英領インドの版図は完成した。このような多彩な歴史を反映して,パンジャーブは主要言語ではパンジャービー,ウルドゥー,ヒンディー,主要宗教でもイスラム,シク教,ヒンドゥー教が並存する地方となった。 英領化とともに大用水路の建設が進められた。…
※「シク教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報