シク戦争(読み)シクせんそう

精選版 日本国語大辞典 「シク戦争」の意味・読み・例文・類語

シク‐せんそう ‥センサウ【シク戦争】

(シクはSikh) 一九世紀中頃、インド植民地のイギリス軍とインド西北部を支配していたシク教徒軍勢との間に行なわれた二度にわたる戦争。イギリス軍の勝利により、パンジャブ地方のすべてを併合、イギリスの全インド征服がほぼ成った。

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デジタル大辞泉 「シク戦争」の意味・読み・例文・類語

シク‐せんそう〔‐センサウ〕【シク戦争】

Sikh Wars》1845~1846年と、1848~1849年の2回にわたる、インドのパンジャブ地方のシク教徒と英国軍との戦争。英国はこの戦争に勝ち全インドの支配を完成

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改訂新版 世界大百科事典 「シク戦争」の意味・わかりやすい解説

シク戦争 (シクせんそう)

19世紀半ばに2度にわたってイギリス東インド会社軍とインドのシク教徒軍団の間で戦われた戦争。インド北西部に統一的かつ軍事力を装備した一大シク王国を築いたランジート・シングの死(1839)の後,王国内に激しい後継者争いが生じたが,18世紀末に南インドを,1818年にはマラータ王国を吸収したイギリスが43年にシンド地方を併合したことがシク教徒たちに脅威を与え,ここに第1次シク戦争(1845-46)が勃発する。この戦いでシク教徒側は敗れ,その結果500万ルピーの賠償金とともにジャンムー・カシミールを失い,パンジャーブの中心都市ラホールにはイギリスの駐在官が入った。イギリスはこれにとどまらず,一方的な改革を強行してシク教徒を刺激し,第2次シク戦争(1848-49)となる。しかしシク王国内の不統一がイギリス側のつけいるところとなり,シク軍主力が49年2月にグジャラートで決定的な打撃をこうむり,戦争は敗北に終わる。総督ダルフージーはただちにシク王国の英領インドへの併合を実施し,幼い王ダリプ・シングは5万ポンドの年金を与えられ,教育のためとしてイギリスへ送られることとなる。シク教徒たちはこれ以後武器の所持を禁じられた。このシク戦争での勝利とパンジャーブ併合によって,イギリスはアフガニスタンの辺境地をも含めてインド亜大陸のほぼ全域をその支配下においた。
シク教
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百科事典マイペディア 「シク戦争」の意味・わかりやすい解説

シク戦争【シクせんそう】

インド北西部に勢力をもっていたシク教徒とインド植民地の英国軍の間で,1845年―1846年,1848年―1849年の2回にわたって起こった戦争。この戦争によって英国は北西部インドを併合し,全インドの征服を完成した。シク教徒はランジート・シング〔1780-1839〕に統一されて,ラホールを首都とするシク王国を形成していたが,第1次イギリス・アフガニスタン戦争以来,英国の圧迫を受けた。シングの没後,英軍の挑発により開戦,ソブラオーンの戦で決定的に敗れ,ラホールに英駐在官を受け入れた。しかし1848年には,英駐在官による各種の改革に反対して再びシク教徒は英軍と全面戦争に入った。英軍は苦戦の末,シク教徒内部の不統一に乗じ,勝利を収めた。→シク教
→関連項目インド帝国パンジャーブラホール

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シク戦争」の意味・わかりやすい解説

シク戦争
シクせんそう
Anglo-Sikh Wars

19世紀中頃,インドのシク教徒 (→シク教 ) とイギリスとの間に起った2回にわたる戦争。ランジート・シング (1780~1839) により統一されていたシク王国は,洋式化された軍隊を背景にイギリスのシンド併合のあともイギリス軍の領内通過を拒否し,当時のインドで唯一の独立国の地位を保っていた。しかしシングの死後,複雑な後継者争いに陥り,全土が分裂状態となった。こうした情勢のもとにイギリスの挑発に先手を打ったシク軍の進撃により,第1次シク戦争 (1845~46) が起った。初めイギリス軍は苦戦したが,シク軍の内部不統一や内応により決定的勝利を収めた。この結果,シクはカシミールを失い,首都ラホールにイギリスの駐在官がおかれることとなった。こうして名目的には独立国として存続したが,イギリスの植民地化が進み各種の改革が行われると,住民の不満が爆発し,各地に反乱が起り,反イギリス戦争となった。これが第2次シク戦争 (48~49) である。再びイギリスは苦戦したが,シクの内部の不統一や支配層の裏切りにより再び勝利を収めた。その結果,イギリスはパンジャブの併合を宣言し,ここに全インド征服を完成した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シク戦争」の意味・わかりやすい解説

シク戦争
しくせんそう

イギリス東インド会社軍とシクSikh王国との間で2次(1845~46、1848~49)にわたって戦われた戦争。これに勝利したイギリスはインド植民地化の過程を完了した。シク教徒の勢力は、インド北西部のパンジャーブ地方を中心として、ムガル帝国と激しい抗争を繰り返しながら強大になっていった。19世紀の初め、ランジート・シングRanjīt Singh(1780―1839)が出て、シク諸勢力を統合し、強大なシク王国を形成した。しかし彼の死後、シク王国は分裂的様相を示し始めた。フランスをプラッシーの戦い(1757)で破って以降、インド全域にわたって征服を推し進めてきたイギリスは、この機に乗じて二度の戦争をしかけて、シク王国を最終的に滅ぼした。これによって、インドにはイギリスに敵対する勢力がなくなり、イギリスによるインド植民地化の大枠が完成した。

[小谷汪之]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シク戦争」の解説

シク戦争(シクせんそう)

1845~46年,48~49年の2回にわたって,イギリスとパンジャーブを拠点とするシク王国との間で戦われた戦争。39年,建国の英雄ランジト・シングが死ぬと,シク王国では深刻な後継者争いが表面化した。イギリスはシク王国を挑発し,戦争を仕掛けるように仕向けた。シク軍はヨーロッパ式の歩兵隊と砲兵隊を持つなど強力だったが,指導者を欠いていた。戦争はイギリスの勝利に終わり,シク側は屈辱的な講和条件をのまされた(第1次シク戦争)。48年,イギリスに不満を持つシク教徒が反乱を起こし,再び戦争が始まったが,この戦いにもイギリスが勝利した(第2次シク戦争)。この結果パンジャーブはイギリス領インドに併合され,イギリスはインド全域の支配権を確立した。シク戦争はイギリスがインドで行った最後の征服戦争である。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シク戦争」の解説

シク戦争
シクせんそう
Anglo-Sikh Wars

1845〜46,1848〜49年の2回にわたり,インド北西部を支配していたシク教徒を破ってイギリスがパンジャーブ地方を併合した戦争
2回ともシク領主の裏切りで敗北。これによりイギリスはインド征服を完成し,アフガニスタン侵略の基地を得た。

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