シオニスト会議(読み)しおにすとかいぎ

世界大百科事典(旧版)内のシオニスト会議の言及

【ヘルツル】より

…ドイツ皇帝ウィルヘルム2世と面談して,パレスティナにおけるユダヤ人国家がドイツ帝国の近東支配にとっていかに有益であるかを説いたのはその好例である。 1897年彼の奔走により第1回シオニスト会議がバーゼルで開かれ,ここにシオニズム運動の礎石がきずかれた。運動の発展する過程でヘルツルの世俗的な思想はロシア,東ヨーロッパのシオニストたちの批判にさらされ,彼が熱心に推進しようとしたウガンダ計画は拒否されることになる。…

※「シオニスト会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」