シェリング(医薬品メーカー)(読み)しぇりんぐ(英語表記)Schering AG

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

シェリング(医薬品メーカー)
しぇりんぐ
Schering AG

ドイツの医薬品メーカー。2006年6月に同じドイツのバイエル社に買収され、バイエル・シェリング・ファーマ社となった。

 シェリングは、1871年に薬剤師であったエルンスト・シェリングErnst Schering(1824―1889)がベルリンに薬品会社を設立したのが始まりであった。1905年、ロシア生産を開始するが、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)によりロシアの工場をすべて失った。第二次世界大戦前には30の関連子会社をもっていたが、1945年、第二次世界大戦の影響による商品不足などの理由により、海外の子会社はすべて閉鎖された。戦後、海外取引の拡大により再建を図った。取引高のうち海外取引は、1950年は33%であったが、1960年には54.2%、1985年には82%と確実にシェアを伸ばしていった。

 シェリングはドイツ三大化学メーカーであったBASF、バイエル、ヘキスト(現サノフィ・アベンティス)のような総合化路線をとらず、薬品部門に特化(専門化)した経営で発展を遂げ、皮膚病学領域Dermatologie、診断法領域Diagnostik、治療法領域Therapie、ホルモン治療および受胎制限領域Hormontherapie und Fertilitätskontrolleの四つの領域を経営の柱としていた。1998年度時点の売上高64億2500万マルクのうち、これら4領域の占める割合をみると、ホルモン治療および受胎制限がもっとも多く全体の36%(売上高22億7200万マルク)を占め、次いで治療法が31%(同20億マルク)、診断法が23%(同14億8000万マルク)、皮膚病学が6%(同4億マルク)の順となっている。そのほか、植物保護などの領域にも事業展開しており、1994年、この分野でヘキストと提携した。企業形態は持株会社上位に置くコンツェルン形態をとり、傘下には140余りのグループ企業が存在した。本社は創業以来ベルリンに置かれていた。従業員数は2万1818人(1998)。

[所 伸之]

その後の動き

2006年6月、ドイツの同業バイエル社によって買収され、バイエル・シェリング・ファーマ社Bayer Schering Pharma AG(本社はベルリン)となる。なお、1952年に独立しているシェリング・コーポレーションUSAは、1971年にアメリカのプラウ社Plough Inc.と合併し、シェリング・プラウとなっていたが、2009年11月、アメリカのメルク社に吸収合併された。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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