ザナック(読み)ざなっく(英語表記)Darryl F. Zanuck

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザナック」の意味・わかりやすい解説

ザナック
ざなっく
Darryl F. Zanuck
(1902―1979)

アメリカの映画製作者。黄金期ハリウッドの名物プロデューサーの一人ネブラスカ州ワフーの生まれ。1923年、ワーナー・ブラザースに脚本家として入社、「リン・ティン・ティン」シリーズなどを執筆。1929年には製作部長となり、ミュージカル、ギャング映画などでワーナーにトーキー初期の全盛期をもたらす。1933年、ジョゼフ・スケンクJoseph M.Schenck(1876―1961)と20世紀映画を興し、翌年フォックスと合併して20世紀フォックスを設立。以後製作担当副社長として映画の企画・製作に積極的にかかわるなかで、数々の傑作名作を生み出していく。1956年に独立したが、1962年には社長として復帰し、1970年までトップの地位を保持する。おもな作品に『怒りの葡萄(ぶどう)』(1940)、『わが谷は緑なりき』(1941)、『荒野決闘』(1946)、『紳士協定』(1947)、『ピンキー』(1949)、『イヴの総(すべ)て』(1950)、『自由の大地』(1958)、『史上最大の作戦』(1962)などがある。

[宮本高晴]

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改訂新版 世界大百科事典 「ザナック」の意味・わかりやすい解説

ザナック
Darryl Francis Zanuck
生没年:1902-79

アメリカの映画製作者。ハリウッドの〈タイクーン(映画の帝王)〉と呼ばれた精力的な大プロデューサーの一人。ネブラスカ州に生まれる。1923年,ワーナー・ブラザースの脚本家として映画界に入り,29年に製作本部長となり,ワーナーの特色になった《犯罪王リコ》(1930)をはじめとするギャング映画の路線を敷くが,政策をめぐる意見の対立から33年に退社し,35年20世紀フォックスの製作担当副社長となる。40年代には《怒りの葡萄》(1940),《わが谷は緑なりき》(1941)などで社会問題を取り上げ,戦後は人種偏見を主題とした《紳士協定》(1947),《ピンキー》(1949)を製作し,映画製作者としての気骨と積極性を示した。映画界が斜陽化した56年に独立製作者となって本拠をパリに移し,試行錯誤ののち《史上最大の作戦》(1962)で大成功をおさめた。超大作《クレオパトラ》(1963)の失敗で揺らぐ20世紀フォックスに復帰し,内紛ののち社長を経て会長になるが,71年には辞任して映画製作から手を引いた。ハリウッドに君臨した同時代の〈タイクーン〉の中で唯一の非ユダヤ人で,もっとも過酷な独裁者として恐れられた一人でもあった。〈おれが話し終わるまでイエスというな〉というのが口ぐせで,そのタイトルの伝記(1971)がある。
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世界大百科事典(旧版)内のザナックの言及

【怒りの葡萄】より

…J.フォードの最も脂がのり切った時期の作品の1本で(1938年10月から39年11月までに,《駅馬車》とH.フォンダ主演のこの3連作を製作),初のアカデミー監督賞を受賞し,彼はこれで第一級の監督にのし上がった。〈30年代の小説の中では最もドキュメンタリー風〉の原作に,〈社会派〉のプロデューサー,D.F.ザナックが映画化権を獲得し,脚本(ナナリー・ジョンソン)にも加わった。共和党員でありながら,ローズベルト大統領の親しい友人であったザナックは,社会奉仕に大きな関心をもち,トム・ジョードが家族と別れて去って行った後に,〈民衆は死なない〉と母親(アカデミー助演女優賞のジェーン・ダーウェル)に言わせるラストを自ら撮って付け加えたという。…

【ギャング映画】より

… デビッド・パイリーによれば,1929年から34年までに300本ものギャング映画がつくられた。クラーク・ゲーブル,ゲーリー・クーパー,スペンサー・トレーシーといった各社のスターが競ってギャングを演じたことからも,そのブームの一端をうかがうことができるが,その火つけ役となったのが1929年から32年までワーナー・ブラザースの製作責任者の地位にあった(1931年に製作部長)若き日のダリル・F.ザナックで,ベン・ヘクト,チャールズ・マッカーサー,W.R.バーネット,ロバート・リスキン,ジョン・ブライト,ナナリー・ジョンソン,ダドリー・ニコルズといった当時もっとも先鋭的な新聞のレポーターたちをシナリオライターとして起用し,29年2月14日のアル・カポネによる〈聖バレンタイン・デーの大虐殺〉の衝撃にヒントを得て,現実の犯罪事件に基づく暗黒街ものを次々に製作し,独自のワーナーカラーをつくった。のちに《怒りの葡萄》やユダヤ人問題をテーマにしたエリア・カザン監督の《紳士協定》(1947)などの問題作を製作する〈社会派〉のプロデューサー,ザナックらしく,《仮面の米国》(1932),《家なき少年群》《飢ゆるアメリカ》(ともに1933)といったアメリカ社会の裏面をえぐった一連の〈暴露映画〉もワーナー・ブラザースの実録ものの特色であったが,これは,反面,ギャングを英雄化し,暴力に陶酔するギャング映画に批判的な世論に対する懐柔策でもあった。…

【20世紀フォックス[会社]】より

…アメリカの映画会社。ウィリアム・フォックスWilliam Fox(1879‐1952)のフォックス映画社(1915設立)とジョゼフ・M.スケンクJoseph M.Schenck(1878‐1961)およびダリル・F.ザナックの20世紀映画社(1933設立)が1935年に合併してできたハリウッドの〈ビッグ・ファイブ〉の一つである。フォックス映画社は,1906年に,アメリカの最初の映画常設館であったニッケルオデオンの経営からスタートしてしだいにニューヨークを中心に映画館を増やし,10年代には製作,配給も始め,バンプvamp女優第1号として知られる妖艶なスター,セダ・バラTheda Bara(1890‐1955)を売り出し,20年代にはアドルフ・ズーカーのパラマウント,マーカス・ローのMGMとともにハリウッド最大の映画企業体に成長した。…

※「ザナック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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