ザトペック
ざとぺっく
Emil Zátopek
(1922―2000)
チェコの陸上長距離選手。1952年の第15回オリンピック・ヘルシンキ大会で5000メートル、1万メートル、マラソンの3種目に優勝の偉業を遂げた。「人間機関車」といわれ、苦しそうな表情で走るのが特徴であった。1949年から1955年までの間に5000メートル、1万メートルの両種目をはじめ、2万メートル、3万メートルまでの、ヤード制を含めて公認される世界記録を全部書き換えた。夫人のダナ・ザトペコーワもやり投げの選手で、ヘルシンキ大会で優勝している。ザトペックは1922年9月12日の生まれであるが、ザトペコーワも同年同月同日に生まれたという珍しい「同い年」夫妻である。1968年ドプチェク政権下の「プラハの春」の際の積極的な行動もあって、旧チェコスロバキア時代には不遇が伝えられた。
[石井恒男]
『ズデニェク・トーマス著、大竹国弘訳『人間機関車E・ザトペックの実像』(1982・ベースボール・マガジン社)』▽『F・R・コジック著、南井慶二訳『ザトペック 勝利への人間記録』(1956・朝日新聞社)』
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ザトペック
Zatopek, Emil
[生]1922.9.19. チェコスロバキア,モラビア,コプジフニツェ
[没]2000.11.21. チェコ,プラハ
チェコスロバキアの陸上競技選手。「人間機関車」と呼ばれ,1948年ロンドン・オリンピック競技大会で1万mに優勝,1952年ヘルシンキ・オリンピック競技大会では,5000m,1万mに世界新記録で優勝,初挑戦のマラソンでも優勝してオリンピック史上唯一の長距離三冠を達成,通算金メダル4個を獲得した。インターバルトレーニングを世界に紹介した。現役引退後,共産党員としてチェコスロバキア陸軍大佐を務めるなど国防省で高い地位にあった。しかし 1968年のプラハの春でドプチェクの自由化政策を支持し,ワルシャワ条約機構の軍事介入に公然と抗議したため,軍と共産党から除名。 1990年になって名誉が回復された。ダナ夫人はやり投げ選手でヘルシンキ大会で優勝し,同一オリンピック大会で夫婦金メダルの記録をつくった。
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ザトペック
チェコ(旧チェコスロバキア)の長距離競走選手。モラビア出身。1948年のロンドンオリンピックで1万mに優勝,1952年のヘルシンキオリンピックでは5000m,1万m,マラソンの3種目にオリンピック新記録で優勝。〈人間機関車〉といわれ,5000mから3万mまでの多くの世界新記録を樹立し,1948年―1954年には1万mで38連勝。夫人のダナ・ザトペコバもヘルシンキオリンピックで女子槍投げで優勝した。
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ザトペック
(Emil Zátopek エミル━) チェコスロバキアの陸上長距離選手。第一四回ロンドン、第一五回ヘルシンキ両オリンピック大会で通算四種目に優勝。その独特の走法から「人間機関車」と呼ばれた。(一九二二‐二〇〇〇)
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ザトペック(Emil Zatopek)
[1922~2000]チェコスロバキアの長距離走者。1948年のロンドンオリンピックで1万メートル、1952年のヘルシンキオリンピックで長距離2種目とマラソンとに優勝、「人間機関車」とよばれた。
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ザトペック【Emil Zátopek】
1922‐2000
チェコの陸上競技長距離走者。モラビア出身。1948年第14回ロンドン・オリンピック大会で1万mに初優勝(29分59秒6)。52年第15回ヘルシンキ・オリンピック大会では5000m(14分6秒6),1万m(29分17秒0)に優勝,さらに初出場のマラソンも制し(2時間23分3秒2),初の長距離三冠王となった。1948‐54年に1万m以上の種目で不敗を誇り,5000m以上3万mまでのすべての世界記録を塗り替えた。
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