ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サーリネン」の意味・わかりやすい解説
サーリネン
Saarinen, Eero
[没]1961.9.1. ミシガン,アナーバー
フィンランド生れのアメリカの建築家。エリエル・サーリネンの息子。 1929年パリで彫刻を,30~34年エール大学で建築を学び,37~50年父とともに働いた。独立後は折衷主義的な傾向を示し,建物の機能に合わせて手法を選ぶ柔軟な姿勢でのぞんだ。おもなものにゼネラル・モーターズ技術センター (1948~56,ミシガン,ウォーレン) ,マサチューセッツ工科大学講堂およびクレスギ礼拝堂 (53~55,ケンブリッジ) ,イエール大学ホッケーリンク (53~59) ,TWAエアターミナル・ビル (56~62,ケネディ空港) ,ダレス空港ビル (56~62,ワシントン D.C.近郊) などがある。
サーリネン
Saarinen, Eliel
[没]1950.7.1. ミシガン,ブルームフィールドヒルズ
フィンランド生れのアメリカの建築家。 1893~97年ヘルシンキで絵画と建築を学び,96年 H.ゲゼリウスおよび A.リンドグレンとともに建築実務を開始。 99~1900年のパリ万国博覧会におけるフィンランド館の設計により名声を確立。 02年ヘルシンキ国立美術館,04年当時の折衷主義建築の典型であるヘルシンキ鉄道駅 (1905~14) を設計。 22年シカゴ・トリビューン社の社屋懸賞設計で2位に当選したのを機会に渡米し,27年クランブルック少年学校,34年クランブルック美術アカデミー (ともにブルームフィールドヒルズ) を建造した。このほか息子エーロとの共同制作による作品も多い。
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