サーリネン(英語表記)Saarinen, Eliel

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サーリネン」の意味・わかりやすい解説

サーリネン
Saarinen, Eero

[生]1910.8.20. キルクコヌンミ
[没]1961.9.1. ミシガン,アナーバー
フィンランド生れのアメリカの建築家。エリエル・サーリネンの息子。 1929年パリで彫刻を,30~34年エール大学で建築を学び,37~50年父とともに働いた。独立後は折衷主義的な傾向を示し,建物の機能に合わせて手法を選ぶ柔軟な姿勢でのぞんだ。おもなものにゼネラル・モーターズ技術センター (1948~56,ミシガン,ウォーレン) ,マサチューセッツ工科大学講堂およびクレスギ礼拝堂 (53~55,ケンブリッジ) ,イエール大学ホッケーリンク (53~59) ,TWAエアターミナル・ビル (56~62,ケネディ空港) ,ダレス空港ビル (56~62,ワシントン D.C.近郊) などがある。

サーリネン
Saarinen, Eliel

[生]1873.8.20. ランタサルミ
[没]1950.7.1. ミシガン,ブルームフィールドヒルズ
フィンランド生れのアメリカの建築家。 1893~97年ヘルシンキで絵画と建築を学び,96年 H.ゲゼリウスおよび A.リンドグレンとともに建築実務を開始。 99~1900年のパリ万国博覧会におけるフィンランド館の設計により名声確立。 02年ヘルシンキ国立美術館,04年当時の折衷主義建築の典型であるヘルシンキ鉄道駅 (1905~14) を設計。 22年シカゴ・トリビューン社の社屋懸賞設計で2位に当選したのを機会に渡米し,27年クランブルック少年学校,34年クランブルック美術アカデミー (ともにブルームフィールドヒルズ) を建造した。このほか息子エーロとの共同制作による作品も多い。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「サーリネン」の意味・わかりやすい解説

サーリネン

フィンランド出身の米国の建築家。1900年パリ万国博覧会フィンランド館の設計で認められ,ヘルシンキ駅や多くの都市計画を手がけた。シカゴ・トリビューン社屋設計競技入賞を機に,1923年渡米し永住。ミシガン大学教鞭を執るかたわら,息子エーロEero Saarinen〔1910-1961〕とともにミネアポリス教会バッファローのクラインハンス音楽堂を設計し,米国における機能主義建築の推進者となった。エーロは父の死後ミシガン州のゼネラル・モーターズの技術本部を単独で設計して名をあげ,マサチューセッツ工科大学の講堂,イェール大学室内ホッケー場などを設計した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android