サンマルコ広場(読み)サンマルコヒロバ

デジタル大辞泉 「サンマルコ広場」の意味・読み・例文・類語

サンマルコ‐ひろば【サンマルコ広場】

Piazza San Marco》イタリア北東部、ベネト州の都市ベネチアにある広場サンマルコ大聖堂前にあり、ドゥカーレ宮殿、コッレール博物館、旧行政庁、新行政庁、サンマルコ図書館に面する。広場中央には高さ99メートルの鐘楼がある。ベネチアきっての観光名所として知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「サンマルコ広場」の意味・わかりやすい解説

サン・マルコ広場 (サンマルコひろば)
Piazza San Marco

イタリアのベネチアの中心広場。市政と祝祭行事の舞台としてベネチアの歴史を刻む。現在は同市第一の観光名所として世界的に有名。ピアッツァ(広場の意。170m×70m)とピアッツェッタ(小広場の意。83m×47m)の,L字形に連なる2部分に分かれ,前者の東辺にサン・マルコ大聖堂が,有翼ライオン像とテオドルス像を載せる2本の大円柱を介して海に開く後者の東辺にパラッツォ・ドゥカーレ(総督宮)が位置する。広場の歴史は最初期のパラッツォ・ドゥカーレと聖堂が創建された9世紀にさかのぼるが,現状に近い形をとったのは運河を埋め立てて拡張,整備が行われた12世紀中ごろである。12~15世紀にかけてパラッツォ・ドゥカーレの改修,再建を含む広場の整備が進み,ルネサンス時代にはコドゥッチMauro Coducciが旧行政館横に時計塔を,ベネチアの公共建築行政主任を務めたJ.サンソビーノがパラッツォ・ドゥカーレに向かいあうサン・マルコ図書館と鐘楼下の柱廊(ロジェッタ)を,スカモッツィが新行政館を建設し,19世紀初頭にナポレオンが改修したピアッツァ西辺(〈ナポレオンの翼〉)を除いてほぼ現状の姿が整った。広場の結節点に立つ鐘楼(高さ99m。ガリレイはこの塔から天体観測を行った)は10世紀の監視灯台(16世紀再建)を転用したもので,1902年の倒壊後,復元された。ナポレオンは,連続するアーケードで囲まれた広場を,〈ただ天空のみがその屋根としてふさわしいヨーロッパ最美のサロン〉と表現した。広場南辺のカフェ〈フロリアン〉は,1645年,ヨーロッパで最初にコーヒーを飲ませた店といわれる。
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世界の観光地名がわかる事典 「サンマルコ広場」の解説

サンマルコひろば【サンマルコ広場】

イタリア北東部、アドリア海に面した港町ベネチア(Venezia)の市街中心部にある広場。この広場は、7世紀末から1797年まで1000年以上にわたって続いたベネチア共和国政治の中心で、港湾都市ベネチアの玄関口となってきたところで、サンマルコ大聖堂、ドゥカーレ宮、高さ96mのサンマルコ鐘楼(しょうろう)をはじめ、回廊のある歴史的な建物群に取り囲まれて、ナポレオンが「世界で最も美しい広場」と絶賛したといわれる。◇「サンマルコ」とは、ベネチアの守護聖人である福音記者マルコのことである。この広場は、海に面したサンマルコ小広場(Piazetta San Marco)につながっている。

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世界大百科事典(旧版)内のサンマルコ広場の言及

【ベネチア】より

…すなわち大運河の北東には,サン・マルコ,カナレッジョ,カステッロ,南西にはサンタ・クローチェ,サン・ポーロ,ドルソドゥーロ(ジュデッカ島を含む)の区がある。歴史的にみると,町の政治的・経済的中心はサン・マルコ広場周辺にあり,パラッツォ・ドゥカーレ(総督宮),その私設礼拝堂として生まれたサン・マルコ大聖堂,新・旧行政館,図書館,造幣局などの古い公共的建物が集まっている。〈ヨーロッパで最も美しいサロン〉とナポレオンに絶賛されたこの象徴的な広場だけが,古来,イタリア語で広場を指すピアッツァpiazzaの称号を与えられており,現在もここが観光の最大の中心となっている。…

※「サンマルコ広場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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