サン・フランチェスコ聖堂(読み)サン・フランチェスコせいどう(英語表記)Basilica di San Francesco

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

サン・フランチェスコ聖堂
サン・フランチェスコせいどう
San Francesco

イタリア中部,ウンブリア州の町アッシジにある聖堂。ここはフランシスコの生地であり,1226年に聖者が没したのち,遺骸をまつる聖堂として弟子エリアスが 1228年起工,1253年に完成させた。南西向きの丘の斜面に建つ聖堂は上下二つに分けられ,東を正面としている。広いアトリウムに面する下層の聖堂は,地下にフランシスコを埋葬したクリプトをもち,身廊方形のリブ (肋骨) によって補強された半円アーチ交差ボールト (穹窿) ,そして翼廊はやはり半円アーチの筒形ボールトによって構成されているが,いずれのボールトも柱をもたずほとんど床面から掛け渡されているため,天井は低くロマネスク的な重厚な性格が強い。内部は細部にいたるまで装飾が施され,特に G.チマブーエ,S.マルティーニ,P.ロレンツェッティ,その他ゴシック期を代表する画家たちがフレスコを描いている。チマブーエの描いた『フランシスコの全身像』は最も有名。上層の聖堂はラテン十字形プランのバシリカ式建築で,側廊をもたない単純な構成であるが,それゆえに壁面は重要な意味をもち,ここにはチマブーエやジョットが有名なフレスコを描いている。特に 13世紀末から 14世紀初頭にかけてジョットが描いた連作『聖フランシスコ』は,ルネサンス美術先駆をなす重要な遺品である。 2000年世界遺産の文化遺産登録

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

サン・フランチェスコ聖堂
さんふらんちぇすこせいどう
Basilica di San Francesco

フランチェスコ僧会の総本山で、教祖の生誕地アッシジ(中部イタリア)にある。聖フランチェスコ没後2年目の1228年に起工、53年に献堂された。14世紀を通じて内外部の装飾が行われたが、今日の外観はほとんど往時のままという。傾斜地を利用して上下2層につくられているため、「上の聖堂」と「下の聖堂」とよび分けられる。南側面にあけられたゴシック式の玄関から入る「下の聖堂」にはロマネスクとゴシックの両様式が共存しており、プランは単廊式の身廊、翼廊およびアプス(後陣)からなっている。身廊は量感のある積柱に支えられた低い半円アーチで、五つの柱間に分割されている。玄関に接する第一の柱間は翼廊のように拡張されて、ほとんどナルテックス(前廊)の役割をしているが、この部分は典型的なゴシック様式である。また身廊には交差リブ穹窿(きゅうりゅう)が架せられているのに対し、翼廊は半円筒形穹窿である。「上の聖堂」はこれとはまったく対照的に純粋のゴシック様式である。プランは単廊式で、側壁に張り出した片蓋柱(かたぶたばしら)によって四つの柱間に分割される身廊、翼廊および多角形のアプスからなり、交差リブ穹窿が架けられている。両聖堂ともほとんどすべての壁面が中世末期の著名画家の作品で埋め尽くされているが、「上の聖堂」のチマブーエによる『キリスト磔刑図(たっけいず)』とジョットの『聖フランチェスコ物語』(一部弟子の手による)がとくに有名。「下の聖堂」にみるチマブーエの『聖母子、天使および聖フランチェスコ』をはじめ、シモーネ・マルティーニ、ピエトロ・ロレンツェッティらの作品は、いずれも美術史上の逸品である。

[濱谷勝也]


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百科事典マイペディア の解説

サン・フランチェスコ聖堂【サンフランチェスコせいどう】

イタリア中部,ウンブリア地方の町アッシジにある聖堂。フランチェスコの墓の上に建てられ,修道院が付属する。イタリア初期ゴシック建築で,起工1228年,献堂1253年。チマブエ,ジョットらの壁画で有名。2000年世界文化遺産に登録。
→関連項目ジョットチマブエ

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