出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
メキシコ・フィリピン間航行のスペイン船サン・フェリペ号は,1596年7月マニラを出港し暴風雨のため10月19日(慶長1年8月28日)土佐浦戸に漂着した。この報は早速領主長宗我部元親より豊臣秀吉に伝えられ,船長ランデーチョも秀吉に使者を遣わし保護を求めた。秀吉は奉行増田長盛を派遣して積荷を没収させたが,この処置に航海長が抗議してスペインの征服事業につき大言壮語し,あるいはポルトガル人がサン・フェリペ号漂着に関しスペイン人の日本征服とマニラからの渡航修道士との関係につき讒言(ざんげん)したため,当時畿内で公然と布教していたフランシスコ会修道士らが捕らわれ,翌年2月の二十六聖人の殉教となったと考えられている。この事件が秀吉のキリシタン迫害を再燃させ,殉教事件を惹起する直接の契機になったことは確実である。修復を終えたサン・フェリペ号は,97年4月浦戸よりマニラに出帆した。
執筆者:五野井 隆史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…江戸幕府がキリスト教の禁制を軸に,貿易の統制・管理と日本人の海外往来の禁止を企図して実施した対外通交政策,およびそれによってもたらされた状態を鎖国とよんでいる。この政策は,オランダ人を長崎出島に強制移住させた1641年(寛永18)に確立し,1854年(安政1)ペリー艦隊来航のもとで日米和親条約(神奈川条約)が調印されるまで200余年の間続いた。それは,江戸幕府が内外の情勢に対応して集権的な権力を確立する過程の一環として打ち出されたもので,日本列島が当時の世界交通の辺境である東北アジアにあり,大陸と海で隔てられているという地理的条件と,季節風と海流を利用した帆船の技術的条件によって,長期にわたる状態の固定が外部から支えられた。…
※「サンフェリペ号事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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