サンピエトロ大聖堂(読み)サンピエトロだいせいどう

精選版 日本国語大辞典 「サンピエトロ大聖堂」の意味・読み・例文・類語

サンピエトロ‐だいせいどう ‥ダイセイダウ【サンピエトロ大聖堂】

(サンピエトロはSan Pietro) バチカン市国にあるローマ‐カトリック教会の主聖堂。三二六年にコンスタンティヌス帝が献堂したのを起源とし、現在の建物ブラマンテラファエロミケランジェロの設計をもとに一六世紀から一七世紀にかけて建造されたもの。サンピエトロ寺院。セント‐ピーターズ寺院。

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デジタル大辞泉 「サンピエトロ大聖堂」の意味・読み・例文・類語

サンピエトロ‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【サンピエトロ大聖堂】

San Pietroバチカン市国にあるローマカトリック教会の中心をなす聖堂。コンスタンティヌス1世時代に聖ペテロ墓上に建てられた木造建築を起源とし、1506年以降ブラマンテラファエロなどの設計により全面改築計画が進められたが、その死により中絶ミケランジェロやカルロ=マデルノの設計をもとに、17世紀初めにほぼ完成した。聖ペテロ大聖堂セントピーター寺院

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改訂新版 世界大百科事典 「サンピエトロ大聖堂」の意味・わかりやすい解説

サン・ピエトロ大聖堂 (サンピエトロだいせいどう)
Basilica di San Pietro in Vaticano

バチカン市国にある,ローマ・カトリック教会の主聖堂。ローマ・カトリック教会の宗教活動の中核で,キリスト教教会堂の中では世界最大の規模をもつ。歴代教皇の墓所を蔵し,教皇庁舎,ベルベデーレ庭などとともにバチカン市国を形成する。

 324年ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって創建され,ルネサンス,バロック時代に現大聖堂が新築された。創建時の旧聖堂は使徒ペテロの墓の上に位置する5廊のバシリカ式教会堂であったが,老朽化したため,15世紀の教皇ニコラウス5世(在位1447-55)が全面的改修に着手した。一流の建築家が参加した新大聖堂の建設はイタリア・ルネサンス最大の建築事業で,とくにブラマンテミケランジェロの果たした役割は大きい。ブラマンテは,教皇ユリウス2世の依頼で,四隅に塔,中央に半球単殻ドームをもつギリシア十字形平面の設計案を用意し,その没後はラファエロ,A.daサンガロ(イル・ジョバネ)が建設主任となった。しかし,工事は設計変更や補強の繰返し,ローマ劫掠などによって進捗せず,1547年教皇パウルス3世(在位1534-49)はミケランジェロを主任建築家に任命して竣工をめざした。彼は前任者サンガロの煩瑣な計画を排して純化された中央交差部の量塊感を強め,同時に東腕部をわずかに延長して集中・バシリカ両形式の融合をはかった。現大聖堂の中核部,16本のリブから成る円蓋の二重殻構造,巨大オーダーによる均一な外壁はこの案にもとづいている。その没後1585-90年にジャコモ・デラ・ポルタは中央円蓋をやや尖頭形に改めて完成させ,17世紀後半には,バシリカ式平面(ラテン十字プラン)を求めた反宗教改革理念に従ってカルロ・マデルノが身廊部を3柱間延長し,現ファサードを補った。大聖堂の全長は194m,ファサードの幅114.7m,高さ45.4m,円蓋内径42m,頂塔を含む地上高は132.5mに達し,1962-65年の第2バチカン公会議で全世界の司教2816人が身廊に参集できたことからもその大きさが知られる。

 堂内の美術作品のうち,ブロンズ製ペテロ座像(12世紀),ナビチェラ(小舟)のモザイク画(1298,ジョット),ブロンズ製正面扉(1433-45,フィラレーテ)等は旧聖堂に由来するが,ミケランジェロの《ピエタ》(1499-1500)を除く他の主要作品はバロック期以降に属し,近作としては玄関廊左端のマンズー作入口扉(1947)が注目される。教皇の祭壇を覆うブロンズ製大天蓋(1624ころ-33)および大聖堂最奥に位置するペテロの司教座(1656-65)は内装彫刻に主導的役割を果たしたベルニーニの代表作であり,前者では4本の巨大なねじれ柱が波うつ傘蓋を支え,その高さはローマ市内の大邸宅パラッツォ・ファルネーゼにほぼ等しい。玄関廊右奥の扉は〈聖なる扉〉と呼ばれ,25年ごとの聖年に教皇みずからが開閉し,それを通る者は免罪を受けると言い伝えられる。16世紀の改修工事を機に地下祭室(クリプタ)が設けられたが,1940-50年代にその発掘調査が進み,旧聖堂の床面,古い墓廟等が発見された。
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世界の観光地名がわかる事典 「サンピエトロ大聖堂」の解説

サンピエトロだいせいどう【サンピエトロ大聖堂】

イタリアの首都ローマ(Comune di Roma)の市街北西部、バチカンの丘の上の南東端に建つカトリック教会の総本山。最初の聖堂は4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって、キリストの十二使徒の一人、聖ペテロの墓所があったところに建てられた。「サンピエトロ大聖堂」という名称は、これに由来するものである。ローマ教皇の宮殿は、ローマ市内のラテラノ宮殿だったが、1377年にサンピエトロ大聖堂がローマ教皇の座所となった。その後、1626年に現在のサンピエトロ大聖堂が完成。この大聖堂は、床面積2万3000m2で、キリスト教の建築物としては世界最大である。聖堂の北隣に、ローマ教皇が住むバチカン宮殿やバチカン美術館などがある。◇「サンピエトロ大寺院」、「聖ペテロ大聖堂」、「セントピーター寺院」などとも呼ばれるが、正式名称は「ヴァティカーノの丘にある聖ペテロのバシリカ」(Basilica di San Pietro in Vaticano)。

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世界大百科事典(旧版)内のサンピエトロ大聖堂の言及

【ドーム】より

…ブルネレスキによるフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム(15世紀,最大内径45m)は八角形のドラム(鼓胴部)に支えられる二重殻構造をとり,大小24本のリブの支持力とそれらを連結する水平アーチのアーチ作用を利用して仮枠を用いることなく建設された。ローマのサン・ピエトロ大聖堂のドーム(16世紀,設計ミケランジェロ,建設ジャコモ・デラ・ポルタ)もリブ式二重殻構造をとる。これら組積造大ドームでは,下端の推力に対抗して木鎖ないし鉄鎖が埋めこまれたが,この構法を最も合理的に応用した例はレンによるセント・ポール大聖堂のドーム(ロンドン,17世紀)である。…

【バチカン宮殿】より

…ローマ・カトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂に隣接するローマ教皇庁の中心建築。大小20の中庭を介して連なる複雑な建築群から構成され,教皇館Palazzo Pontificio,システィナ礼拝堂,美術館(バチカン美術館),図書館(バチカン図書館)等の重要施設を含む。…

【ブラマンテ】より

…これはおそらくスフォルツァ家の廟所としての意味をもつもので,99年のフランス軍侵入によって未完成のままブラマンテはローマに去る。レオナルド・ダ・ビンチがちょうど同時期にスフォルツァ家に伺候していたのも興味深い事実で,ブラマンテがのちにサン・ピエトロ大聖堂の計画案に示したようなロンバルディア風の集中式の会堂構成は2人の共通の関心事だったらしい。 ローマに赴いた彼は,またたくまにその様式を完成させていく。…

【マデルノ】より

…ビニョーラ,ポルタの影響を受けつつ,付柱,半円柱,双柱をより効果的に用いたこのファサードはローマ・バロック建築最初の作品とされる。1603年ポルタの後任としてサン・ピエトロ大聖堂建築主任となり,身廊を3柱間延長してラテン十字プランとし,現ファサード(幅114.7m,高さ45.4m)を補い,15世紀半ばから続いたルネサンス最大の建設事業を完成に導いた。同聖堂に次ぐローマ第2のドームをもつサンタンドレア・デラ・バレ教会,パラッツォ・バルベリーニ(ローマ),アルドブランディーニ家の別荘(ローマ郊外フラスカーティ)など数多くの建築作品をローマ内外に残したほか,マクセンティウス帝のバシリカから巨石円柱を移設し,パンテオンに双塔を付加する(19世紀末に撤去)など多彩な活躍をした。…

※「サンピエトロ大聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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