サルマン ラシュディ(英語表記)Salman Rushdie

現代外国人名録2016 「サルマン ラシュディ」の解説

サルマン ラシュディ
Salman Rushdie

職業・肩書
作家

国籍
英国

生年月日
1947年6月19日

出生地
インド・ボンベイ(ムンバイ)

本名
Rushdie,Ahmed Salman

学歴
ケンブリッジ大学キングス・カレッジ〔1968年〕卒

学位
M.A.

受賞
ジェームズ・テイト・ブラック記念賞〔1981年〕,最優秀外国書籍賞(フランス)〔1984年〕,ブッカー賞〔1981年〕「真夜中の子供たち」,児童小説賞(大英作家組合)〔1991年〕「ハルーンとお話の海」,クルト・トゥホルスキー賞〔1992年〕,コレット賞〔1993年〕,ブッカー・オブ・ブッカーズ賞(第1回)〔1993年〕「真夜中の子供たち」,ヨーロッパ文学賞(オーストリア)〔1994年〕,欧州連合(EU)文学賞〔1996年〕「ムーア最後ため息」,ホワイトブレッド文学賞〔1996年〕,ブッカー・オブ・ブッカーズ賞〔2008年〕,ジェームズ・ジョイス賞〔2008年〕,セントルイス文学賞〔2009年〕

経歴
イスラム教徒の実業家の家庭に生まれ、14歳で英国の名門ラグビー校に留学、ケンブリッジ大学キングス・カレッジに進み歴史を専攻イスラムの預言者マホメットを研究した。この間1964年に英国籍取得。’68年舞台俳優を経て、’69〜80年コピーライター。’75年に第一作「Grimus(グリマス)」を出版。’81年発表の「真夜中の子供たち」でブッカー賞を受賞し、現代英文壇有数の人気作家となる。’89年著書「悪魔の詩」(’88年)がイスラム教を冒瀆したとしてイランホメイニ師より“死刑宣告”(ファトワ)され、国際的な事件にまで発展、以後スコットランド・ヤードの保護を受ける逃亡生活に入る。同年6月ホメイニ師は死去したが、暗殺の恐怖はいぜん続いていた。’90年にはイスラム教への改宗を宣言し和解を試みる。’95年6月イランのベラヤチ外相が書簡宣告は実行されないことを確約し、また’98年ハタミ大統領がこの問題について“完全に終わったこと”という事実上の終結宣言を行った。しかし、同年10月イランの保守強硬派の学生組織ヒズボラ学生同盟が処刑に対して10億リアル(約3800万円)の賞金を払うことを明らかにするなど、保守強硬派による新たな賞金設定や増額が行われている。’99年3月イタリア・トリノ大学で名誉学位を授与される。他の著書に「恥」(’83年)、「ジャガーの微笑―ニカラグアの旅」(’87年)、「ハルーンとお話の海」(’90年)、「東と西」(短編集,’94年)、「ムーアの最後のため息」(’95年)などの作品や批評集「Imaginary Homelands 1981〜91年」(’91年)がある。2007年より米国アトランタのエモリー大学特別ライター。ナイト爵位を叙せられる。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

367日誕生日大事典 「サルマン ラシュディ」の解説

サルマン ラシュディ

生年月日:1947年6月19日
イギリスの作家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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