サウジアラムコ(読み)さうじあらむこ(英語表記)Saudi Aramco

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サウジアラムコ」の意味・わかりやすい解説

サウジアラムコ
さうじあらむこ
Saudi Aramco

世界最大規模の石油会社であるサウジアラビア国営石油Saudi Arabian Oil Companyの通称。本社ダハラーン。

[奥村皓一]

アラムコの発足

石油埋蔵量で世界最大を誇るサウジアラビアの石油開発は、1933年アメリカの国際石油資本メジャー)のカリフォルニアスタンダード石油(後のシェブロン)とテキサコによって、サウジアラビア王国政府との利権協定に基づき開始された。当初はアラビアン・アメリカン・オイルArabian American Oil Co.(略称アラムコAramco)とよぶカリフォルニア・スタンダード石油とテキサコのジョイント・ベンチャーとして開始された。アラブ民族主義のわきおこるサウジアラビアでの油田開発事業は、政治的にも経済的にも危険な賭(か)けであったが、両社はそれを覚悟で投資を続け、1938年にとうとう巨大油田を発見した。両社とも第一次世界大戦以来、大きな油田の発見がなかったため、サウジアラビアにおける油田発見は重要な意味をもっていた。

[奥村皓一]

アメリカ系メジャーズ4社による協調

カリフォルニア・スタンダード石油、テキサコの両社はヨーロッパ市場を目ざして、ペルシア湾から砂漠を越えて地中海までたどるパイプラインの敷設を計画していた。アラムコは原油の豊富なサウジアラビアで生産量を増やす以外に選択の余地はなく、一方、サウジアラビア王国政府は油田の規模を確認し、埋蔵量に見合う収入をあげるため増産を要求していた。アラムコは国王イブン・サウドと彼の一族の期待と要求を満足させて利権を保持するため、大量の石油をヨーロッパ市場へ運び出す必要があり、それがアラビア横断パイプライン敷設の理由であった。

 アメリカ政府も、第二次世界大戦後の世界石油戦略、つまり中東油田を制して米英国際石油資本がヨーロッパと日本への石油供給権を握るという長期戦略の必要から、アメリカ石油資本によるサウジアラビア油田の独占を望んでおり、国務省はカリフォルニア・スタンダード石油、テキサコに加えて、ニュー・ジャージー・スタンダード石油、ソコニーバキューム(両社ともに、後のエクソンモービル)もアラムコに参加することを支援した。

 1947年3月、これらのロックフェラーのスタンダード石油系中心の4社が団結して、アラムコを強化していく。その後4社はアラムコの親会社となり、アラムコ・パートナーを形成する。以来、アメリカとサウジアラビアの「特別な関係」が始まった。

[奥村皓一]

国有化とその後の発展

1960年代以降、アラブ民族主義とOPEC(オペック)(石油輸出国機構)の資源ナショナリズム台頭のなかで、サウジアラビア政府は資源国有化政策に基づき、1973年から段階的にアラムコの資産を買い取って1980年に完全所有を成し遂げ、1988年国王ファハドの宣言により現名称に改称した。

 以後、アメリカ石油メジャーズ4社の協力を得ながら、サウジアラムコは米英国際石油資本との開発・生産・精製・販売における国際展開を推進する。こうして1988年には世界石油企業ランキング(石油・天然ガスの生産量、埋蔵量、石油精製能力、石油製品販売量から算出)でトップに立ち、2位のエクソン、3位のロイヤル・ダッチ・シェルを上回った。

 サウジアラビアにおける石油の生産・精製、輸送パイプラインのシステムは、アメリカ軍の安全保障システムに全面依存すると同時に、割安原油の供給などにおいて特別の関係を維持している。21世紀に入ってもその関係は揺るぎないものであり、アメリカにとって巨大原油埋蔵量をもつサウジアラビアは「死活的国家利益」vital national interestとよばれている。

 サウジアラビア政府が推し進めるサウジアラムコの国際化によって、これまで米英国際メジャーとのみ協力してきた方針が改まり、さらにイギリス・オランダ系のロイヤル・ダッチ・シェルとの提携も深めている。1997年にはロイヤル・ダッチ・シェルおよびテキサコと、アメリカ国内での石油精製・製品販売事業の統合化に合意した(1998年から統合事業を開始し、全米での石油精製シェアは10%を占める)。さらに同1997年、ロイヤル・ダッチ・シェルとインドにおける下流部門(ダウンストリーム)での事業提携にも合意した。

 サウジアラムコの自国内での生産は、米英石油メジャーズの力にできるだけ頼らず、自国人の技術で多くをカバーできるようにすると同時に、サウジアラムコ自体の国際石油資本化(国際メジャーへの昇格)も追求している。2002年からは、米英資本、ロイヤル・ダッチ・シェルの協力のもとに、相対的に遅れていたサウジアラビア国内の天然ガス開発にも乗り出すこととなった。環境問題への取り組みに大きな実績をもつ日本企業との提携も視野に入れ、2002年(平成14)からは新日本石油(現、ENEOS)と石油生産技術の共同研究を開始した。かくしてアラブ民族主義・石油資源ナショナリズムの盟主国であるサウジアラビアの国営石油資本たるサウジアラムコは、1970年代には敵手であった国際石油資本との共同歩調をとる新たな石油メジャーとして、活発なグローバル展開を行うようになった。

 2017年時点で、原油の確認埋蔵量は約2662億バレル(世界の確認埋蔵量の15.7%)、日産量平均は1020万バレル。サウジアラビア国内で7万人以上の従業員を雇い、国内8か所に精製センターをもつ。アメリカ、中国、韓国、日本にもプラントを配置している。

[奥村皓一]

その後の動き

2005年に住友化学と折半出資の合弁会社ラービグ・リファイニング・アンド・ペトロケミカル・カンパニー(ペトロ・ラービグPETRORabigh社)を設立。世界最大級の石油精製と石油化学の統合コンプレックス建設計画に着手した。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サウジアラムコ」の意味・わかりやすい解説

サウジアラムコ
Saudi Aramco

サウジアラビアの国営石油会社。原油埋蔵量,生産量,輸出量は世界最大。1933年,スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア Socal(→シェブロン)がサウジアラビアのイブン・サウード国王からサウジアラビアでの石油利権を獲得。1973年,サウジアラビアと,Socalの子会社アラムコに出資していた Socal,テキサコ,エクソン,モービルが,サウジアラビア政府による 25%の事業参加に合意した(リヤード協定)。この比率はしだいに引き上げられ,1988年にアラムコは完全国有化され,国営石油会社サウジアラムコとなった。

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