ゴーキー

デジタル大辞泉 「ゴーキー」の意味・読み・例文・類語

ゴーキー(Arshile Gorky)

[1904~1948]米国画家アルメニア生まれで米国に移住シュールレアリスム影響を受けて特異な抽象画を描き、米国における抽象絵画先駆者となった。

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百科事典マイペディア 「ゴーキー」の意味・わかりやすい解説

ゴーキー

アルメニア生れの米国の画家。本名Vosdanig Adoian。1920年米国に移住。ピカソミロの影響を受けた後,シュルレアリスム要素を含んだ独自の画風展開。米国における抽象表現主義の一人とされるが,植物や昆虫の変態過程を追ったデッサンにもとづいた無意識の世界を思わせる形象により,特異な位置を占めている。
→関連項目デ・クーニングマッタ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴーキー」の意味・わかりやすい解説

ゴーキー
Gorky, Arshile

[生]1904.4.15. バン,コーコム
[没]1948.7.21. コネティカット,シャーマン
アルメニア出身のアメリカの画家。本名 Vosdanig Adoian。 1920年にアメリカに移住。 1926~31年ニューヨークのグランド・セントラル・スクール・オブ・アートで教え,1929年頃から抽象画を描く。 A.ブルトン,Y.タンギー,R.マッタ,W.デ・クーニングらとの交遊を通じシュルレアリスムに近づき,1940年頃から生理形態的表現ともいうべき作品を描く。 1945年にニューヨークのレビ画廊で開いた個展では,カタログの紹介文をブルトンが書いた。癌,自動車事故などが重なって自殺。主要作品『肝臓は鶏のとさか』 (1944,オールブライト=ノックス・アート・ギャラリー) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ゴーキー」の意味・わかりやすい解説

ゴーキー
Arshile Gorky
生没年:1904-48

抽象表現主義の代表的な作家。トルコ領アルメニアに生まれ,1920年アメリカに亡命。キュビスム風の半抽象から,30年代後半には,故郷アルメニアの追憶をもとにしたミロ風のイメージを描き,またデ・クーニングやS.デービス交友。43年ころから植物や昆虫の変形過程を追ったデッサンをもとに,独特の,自然の生成を形象化したフォルムを作りあげた。A.ブルトンが〈自然の前で描くことのできた唯一のシュルレアリスト〉と激賞。アトリエの火事や癌や自動車事故の不幸が重なり,自殺した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴーキー」の意味・わかりやすい解説

ゴーキー
ごーきー
Arshile Gorky
(1904―1948)

アメリカの画家。本名はVasdanig Manog Adoian。アルメニアのホルコムに生まれる。1920年、トルコの侵略を脱してアメリカに移住。ボストンのニュー・スクール・オブ・デザイン、のちに教鞭(きょうべん)をとるニューヨークのグランド・セントラル美術学校などに学んだ。ウッチェロ、アングル、ピカソ、ミロ、カンディンスキー、ロベルト・マッタらの影響を受け、作風を転々と変えていったが、30年代の終わりになって自己の方向をみいだす。アメリカの大自然とアルメニアの記憶とを重ね合わせたバイオモーフィック(生形態学的)なイメージを、巧みな線描力によって表し布置する絵画に到達し、ブルトンの称賛を得た。40年代の中ごろから画面はオートマティックな方法を駆使していっそう自由なものになるが、47年、自動車事故にあい制作が困難となり、翌年コネティカット州シャーマンで縊死(いし)した。

[藤枝晃雄]

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