ゴーガン(英語表記)Gauguin, Paul

精選版 日本国語大辞典 「ゴーガン」の意味・読み・例文・類語

ゴーガン

(Paul Gauguin ポール━)⸨ゴーギャンフランス後期印象派画家。文明生活に飽きてタヒチ島にわたり、現地の人々の生活を多く描く。画風は重厚な線条と輝かしい色調とを特徴とする。代表作は「タヒチの女」「黄色いキリスト」など。(一八四八‐一九〇三

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「ゴーガン」の意味・読み・例文・類語

ゴーガン(Gauguin)

ゴーギャン

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴーガン」の意味・わかりやすい解説

ゴーガン
Gauguin, Paul

[生]1848.6.7. フランス,パリ
[没]1903.5.8. フランス領ポリネシアマルキーズ諸島,アチュアナ
フランスの後期印象派の画家。フルネーム Eugène-Henri-Paul Gauguin。17歳で見習いの船乗りとなり,1871年に株式仲買人となったが,1883年に職業を捨てて画家となった。翌 1884年に結婚生活が破綻した。初めカミーユ・ピサロとポール・セザンヌに学び,第4回以降の印象派展(→印象主義)に続けて出品。1886~90年ブルターニュ地方のポンタベンに住み,印象派の技法を捨てて,純色の広い色面を用いる総合主義を始め,象徴主義の文学者たちに高く評価された(→ポンタベン派)。1888年にはフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホアルルで 2ヵ月間共同生活をしたが,ゴッホが病気の発作によりみずからの左耳を切り落とすという事件が起こった。ヨーロッパ文明を拒否し,第1回タヒチ旅行(1891~93)ののち,1895年に再びタヒチへ向かい,1901年にはマルキーズ諸島に移った。外面的な自然描写に飽き足らず,素朴な先住民たちの姿を通して人間の生や死を象徴的に描いたゴーガンの芸術は,20世紀の非自然主義芸術の源泉の一つとなった。主要作品に『黄色いキリスト』(1889,オールブライト=ノックス・アート・ギャラリー),『マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)』(1892,オールブライト=ノックス・アート・ギャラリー),『われわれはどこから来るのか? われわれは何者なのか? われわれはどこへ行くのか?』(1897~98,ボストン美術館)などがある。主著『ノア=ノア』Noa-Noa(1897)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゴーガン」の解説

ゴーガン
Paul Gauguin

1848~1903

フランスの画家。20世紀絵画の先駆者。印象派の写実性を離れ,単純な形と原色の併置により絵画それ自体の表現を追求した。35歳で画家として立ち,のちに原始と熱帯の自然にひかれてタヒチに移住した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ゴーガン」の解説

ゴーガン
Eugène Henri Paul Gauguin

1848〜1903
フランスの画家
初め印象主義の影響を受けたが,その絵にあきたらず,ポン−タヴェン派(Pont-Aven)を創立。のち原始的自然を求めてタヒチ島に渡り(1891),原始的・装飾的な作品「タヒチの女」を多数残して,野獣派(フォービスム)への道を開いた。タヒチに渡る前,ゴッホと共同生活を送っていたが,口論の末ゴッホが自分の耳を切り落とし二人は決別した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

百科事典マイペディア 「ゴーガン」の意味・わかりやすい解説

ゴーガン

ゴーギャン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴーガン」の意味・わかりやすい解説

ゴーガン
ごーがん

ゴーギャン

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android