ゴング(ロック・バンド)(読み)ごんぐ(英語表記)Gong

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ゴング(ロック・バンド)
ごんぐ
Gong

フランスのロック・バンド。1960~1970年代のイギリスカンタベリー・ミュージック(1960年代にカンタベリーで生まれたプログレッシブ・ロック)・シーンやパンク、また1980~1990年代ニューヨークのダウンタウンを舞台にジャズとロックの両方にまたがったアバンギャルド・シーン、そして1980年代末期以降にイギリスやヨーロッパから広がったレイブ・ムーブメントやテクノ・シーンなど、時代や場所を超えてさまざまなシーンやミュージシャンたちを触発し、結びつけてきたプログレッシブ・ロック・バンドである。その活動は一貫して、リーダー、デビッド・アレンDaevid Allen(1938―2015、ボーカルギター)のユートピア哲学の実践の場であった。アレンはつねに、社会における独立した個人のあり方および万人に開かれたコミュニケーション、そして反マテリアリズムというテーマを掲げてきたが、それはいいかえれば、彼が若いころに洗礼を受けたビート派思想をいかにポップ・ミュージックとして表現するかの闘いであった。

 アレンはオーストラリアビクトリア州生まれで、10代でジャズ・ギターを始め、1960年に渡欧。パリで作家のウィリアム・バローズやアレン・ギンズバーグらビート派の詩人たちと親密な交流をもち、ポエトリー・リーディングのパフォーマンスを行う一方、ミニマル・ミュージックの作曲家テリー・ライリーTerry Riley(1935― )とテープ・ループ・システムを使った実験音楽を試みたりもした。その後イギリスに渡り、カンタベリーで1963年にロバート・ワイアットRobert Wyatt(1944― )やヒュー・ホッパーHugh Hopper(1945―2009)らとデビッド・アレン・トリオ(またはカルテット)を結成。これが実質的にカンタベリー・シーンの原点となった。トリオ解散後、アレンはヨーロッパ放浪をし、1966年、ふたたびアレンを中心としたグループ、ソフト・マシーンを結成。ロンドンのサイケデリック・ロック・ムーブメントのなかで注目を集めたが、正式なレコード・デビュー前にアレンは脱退。その後アレンはパリに拠点を移し、実質的な伴侶(はんりょ)ジリスマイスGilli Smyth(1933―2016)も加えたギターの即興的パフォーマンスを開始、それがゴング誕生のきっかけとなった。

 アレンとスマイスはベースのバール・フィリップスBarre Phillips(1934― )やピアノのバートン・グリーンBurton Greene(1937―2021)などジャズ・ミュージシャンを加えて新興の前衛ジャズ・レーベルBYGから、ゴングとして1969年、デビュー・アルバム『マジック・ブラザー』を発表。彼らは、パリ郊外のフォンテンブローの森でヒッピー・コミューン的共同生活を続けながらバンドの結束を固めてゆき、1971年、ドラムのピップ・パイルPip Pyle(1950―2006)らを加えてのアルバム『キャマンベール・エレクトリック』で、プログレッシブ・ロック・バンドとしての評価を確立。さらにイギリスの新興レーベル、バージンと契約し、1973年の『フライング・ティー・ポット』と『エンジェル・エッグ』、1974年の『ユー』の「ラジオ・ノーム・インビジブル」(見えない電波の精の物語)三部作を発表。ここでは、ビート派の思想や東洋哲学、あるいはフリー・ジャズや前衛的現代音楽など、アレンの表現世界の根幹を形成してきたものが総動員されて、一大ファンタジーが繰り広げられ、この連作でゴングは絶頂期を迎えた。この間、ギターのスティーブ・ヒレッジSteve Hillage(1951― )、キーボードのティム・ブレークTim Blake(1952― )、ベースのマイク・ハウレットMike Howlett(1950― )、ゴングと並行してクラシックのストラスブール・パーカッション・アンサンブルにも参加していたパーカッショニストのピエール・ムーランPierre Moerlen(1952―2005)といった、技術的に優れたミュージシャンたちが集まったこともあり、そのアンサンブルは、当時のロック・シーンでももっとも高度で複雑なものの一つになった。しかし、こうした音楽的洗練、複雑化はアレンとスマイスの望むところではなく、また商業的成功に伴うレコード会社からの束縛を嫌ったこともあり、2人は1975年に脱退。以後ゴングは、ムーランを中心としたフュージョン的なジャズ・ロック・バンド(ピエール・ムーランズ・ゴング)として1980年代初頭まで活動を続けた。

 一方アレンは、『グッド・モーニング』(1976)などのソロ作品を発表するかたわら、1977年にはロンドンのパンク・バンド、ヒア&ナウに合流してプラネット・ゴングを結成、同年『ライブ・フローティング・アナーキー77』を発表。さらに1978年にはアメリカに渡り、ニューヨーク・ゴングを結成、1979年に『アバウト・タイム』を発表。このバンドのメンバーであるビル・ラズウェルやフレッド・メイハーFred Maher(1964― 、ドラム)などは、1980年代初頭にマテリアルを結成し、以後続くアバンギャルド・ミュージックの国際的サークルの一つとなってゆく。

 1981年以降、アレンは故郷のオーストラリアに戻り、静かな瞑想(めいそう)生活を続けながら音楽と身体の関係についての研究をしていたが、1980年代末から活動を再開。1989年、アコースティック版ゴングともいうべきゴングメゾンの結成を助走にして、1994年にはゴング結成25周年記念ライブが大成功を収めた。ゴング・サウンド本来のラディカルな浮遊感と離脱感は、ハウスやテクノで育ったレイブ世代にも支持されるようになった。以後、スマイスやハウレットら旧メンバーも含む再編ゴングは、世界中で活発にライブを行いながら、新しいアルバムもリリースする。

 またアレンは、1998年にはアメリカ、サンフランシスコを拠点に新しいユニット、ユニバーシティ・オブ・エラーズを結成しアルバム『マネー・ダズント・メーク・イット』を発表。さらに2003年には、もう一つのサブ・プロジェクトとしてユーン・ゴングも始動させた。

[松山晋也]

『「デイヴィッド・アレン ゴング、パンク、テクノを語る」(『ミュージック・マガジン』1996年8月号所収・ミュージック・マガジン)』

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