ゴラン高原(読み)ゴランこうげん(英語表記)Golan Heights

翻訳|Golan Heights

精選版 日本国語大辞典 「ゴラン高原」の意味・読み・例文・類語

ゴラン‐こうげん ‥カウゲン【ゴラン高原】

(ゴランはGolan) シリア南西部の高原。比較的湿潤の地で戦略上の要地。第一次世界大戦後にフランス委任統治領の一部とされ、第一次中東戦争(一九四八‐四九)以後シリアのイスラエルに対する防衛要塞となったが、六七年の第三次中東戦争でイスラエルが占領した。

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デジタル大辞泉 「ゴラン高原」の意味・読み・例文・類語

ゴラン‐こうげん〔‐カウゲン〕【ゴラン高原】

Golan》シリア南西部の高原。戦略上の要地で、1967年にイスラエルが占領。

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改訂新版 世界大百科事典 「ゴラン高原」の意味・わかりやすい解説

ゴラン高原 (ゴランこうげん)
Golan Heights

シリアの南西部クネイトラ県に存在する平均標高約1000m,面積約1750km2台地。アラビア語でal-Jawlān。ヘルモン山の南麓に位置し,シリアのハウラーン平野とイスラエルのティベリアスガリラヤ渓谷を支配する戦略的に重要な地点。ローマ時代にはガウラニティスGaulanitisと呼ばれ,バグダード,ダマスクスと地中海沿岸を結ぶ隊商路であった。7世紀アラブに征服され現在のアラビア語名がつけられた。1916年のサイクス=ピコ協定でシリア領となる。48-49年の第1次中東戦争以後はシリアの軍事要塞となる。67年の第3次中東戦争以後イスラエルによって占領されている。人口は67年の戦争前は約4万,この戦争によりイスラム教徒の大半が移動し,71年推定で約5000~6000(おもにドルーズ教徒)となる。イスラエルの入植は1968年に開始され,73年までに入植村17が建設された。73年の第4次中東戦争後イスラエルの入植活動はさらに活発となり,81年には事実上併合状態となった。90年までには,さらに35の入植村が建設され,ユダヤ教徒の数は約1万3000人となった。これに対しシリア人は約1万6000人で6ヵ村に住んでいる。シリアは,現在も,ゴラン高原の全面返還という基本姿勢を変えていないが,イスラエルはここにイスラエル政府の行政支配権を確立しようと目論んでいる。
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知恵蔵 「ゴラン高原」の解説

ゴラン高原

1967年の第3次中東戦争でイスラエルがシリアから奪った戦略上の要衝。平均標高は約600m。年平均降水量500〜800mmと雨にも恵まれ、古くから肥沃な土地として知られてきた。ゴランとはヘブライ語で「周行」「巡回」の意味。アラビア語ではジョウラーンと発音される。イスラエルの占領前の人口は15万人と推定されている。中心都市クネイトラなど400の村落が点在していた。住民の大半がスンニ派のアラブ人であったが、ドルーズ派アラウィー派、チェルケス人なども生活していた。チェルケス人とはコーカサスの北東部に生活していたイスラム教徒だが、ロシアの圧迫を逃れ、19世紀にオスマン帝国領に移住した人々の子孫。そうした住民の大多数がイスラエル軍によって追放され、村落なども破壊された。シリアのダマスカスなどで彼らは故郷に帰る日を夢見ている。残留が許されたのは人口の5%に当たる8000人ほどで、大半はドルーズ派、残りはアラウィー派である。73年の第4次中東戦争の初期にはシリア軍がゴランの一部を奪い返したが、反撃に出たイスラエル軍が再度奪取した。その後両国の兵力の引き離しが行われ、廃虚となったクネイトラなどわずかな地域がシリアに返還されて現在に至っている。ゴラン高原に隣接するティベリアス(ガリラヤ)湖はイスラエルにとって貴重な水源になっているため、土地の問題と共に水の問題がシリア・イスラエル間の交渉のポイントでもある(中東水利問題)。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴラン高原」の意味・わかりやすい解説

ゴラン高原
ゴランこうげん
Golan Hights

アラビア語でジャウラン Jawlān。シリア南西端の丘陵地帯で,西方にヨルダン渓谷上流地帯を見通す位置にある。大部分はシリアのクナイトラ県に含まれるが,一部はダルア県にまたがっている。 1967年6月の六日戦争以後,イスラエルの占領地帯となり,その統治下にある。地理的には,西はヨルダン川とガリラヤ湖,北はヘルモン山,東はヤルムーク川の支流アルルカド涸れ川 (ワディ) ,南はヤルムーク川で画され,行政的には 1150km2となっている。聖書に書かれたゴランの町の位置は不明であるが,現在のゴランの西側のハウラーン地方であろうとされている。 1970年代にイスラエルは占領地に新しい入植地を建設し,81年に一方的な併合を宣言したが,シリア,国連はそれを認めず,シリアとの間で返還交渉が続けられている。アラブ人はほとんど退去し,住民の大部分がドゥルーズである。

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百科事典マイペディア 「ゴラン高原」の意味・わかりやすい解説

ゴラン高原【ゴランこうげん】

シリア南西部にある平均標高約1000mの高原。ヘルモン山の南,ティベリアス(ガリラヤ)湖,ヨルダン川の東に位置する要地で,1967年の第3次中東戦争以後イスラエルが占領。その返還は中東問題の焦点の一つである。戦争後,人口が激減し,現在の住民はおもにドルーズ派のほかイスラエル人の入植者。
→関連項目シリア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゴラン高原」の解説

ゴラン高原(ゴランこうげん)
al-Jawlān[アラビア],Golan Heights[英]

シリア南西部の台地。シリアの軍事要塞があったが,1967年第3次中東戦争でイスラエルが占領した。シリアは全面返還を要求しているが,イスラエルは入植を強行,81年にはイスラエルの国内法を適用し,事実上併合した。しかし,この併合は国際社会では認められていない。現在の住民はユダヤ人ドルーズ派

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴラン高原」の意味・わかりやすい解説

ゴラン高原
ごらんこうげん
Golan Heights

シリア南西部の高原。アンティ・レバノン山脈の南の延長部に位置し、標高1000メートル前後、西はヨルダン地溝帯、南はヨルダン川支流のヤルムーク川でくぎられる。山地の西斜面にあるため比較的湿潤で、小麦などの農業が発達し、居住密度も高い。1948~49年の第一次中東戦争以後、シリアのイスラエルに対する防衛要塞(ようさい)となったが、67年の第三次中東戦争以後イスラエルに占領されている。

[末尾至行]

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