ゴダール(英語表記)Jean-Luc Godard

デジタル大辞泉 「ゴダール」の意味・読み・例文・類語

ゴダール(Jean-Luc Godard)

[1930~2022]フランス映画監督。「勝手にしやがれ」で監督デビュー。ヌーベルバーグの旗手として注目を集める。その後も、実験精神に富んだ映画を数多く監督。作「軽蔑」「気狂いピエロ」「中国女」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「ゴダール」の意味・わかりやすい解説

ゴダール
Jean-Luc Godard
生没年:1930-

フランスの映画監督。グリフィスとエイゼンシテイン以来,彼ほど根底から映画の概念を変革した作家はいないといわれる。フランソアトリュフォーは〈ゴダールは映画の制度そのものを粉砕した--絵画におけるピカソのように,映画のすべてをかく乱することによって,すべてを可能にしたのである〉と評している。絶えざる解体と変貌を繰り返し続けて,映画史上もっともつかみにくく定義しがたい映画作家といわれる。パリ生れのフランス人だが,〈兵役忌避のために〉スイス国籍をとる。クロード・シャブロル,トリュフォーに次いで,アンドレバザンの主宰する映画研究誌《カイエ・デュ・シネマ》の批評家から映画監督となる。長編第1作《勝手にしやがれ》(1959)は,カメラが現場で一瞬,一瞬すべてを創造していく新鮮な即興演出,カットつなぎを無視した大胆な編集,インタビューやモノローグをまじえた多彩な映像と言語の引用によるコラージュ的な構成などで人々に衝撃を与えた。この作品によって,一躍,ヌーベル・バーグの旗頭となり,以後,1年に2本の割合で次々に問題作を発表し,1960年代のもっとも個性的で,もっとも豊饒(ほうじよう)で,もっとも重要な映画作家となる。〈シネマテーク・フランセーズ〉のアンリ・ラングロアや映画史家のルイジ・キアリーニによって〈ゴダール以前〉の映画と〈ゴダール以後〉の映画という映画史の区分さえ生み出される。

 コンピューターによって管理された未来社会を描いた《アルファヴィル》(1965)はマルセル・デュシャンによって〈サイバネティックス映画の傑作〉と評され,《気狂いピエロ》(1965)はアラゴンによって〈コラージュの傑作〉と絶賛された。映画が他の分野の芸術家をこれほど熱狂させたのはおそらくチャップリン以来のことといえよう。現代社会の縮図としてとらえられたセックスのテーマ(《女は女である》(1960),《恋人のいる時間》(1964)における姦通,《女と男のいる舗道》(1962),《彼女について私が知っている二,三の事柄》(1966)における売春),社会的・政治的寓話の形式による文明批評の試み(《カラビニエ》1963,《アルファヴィル》),ドキュメンタリーを〈フィクションの真実〉で味付けしたシネマ・ベリテ(ゴダール自身は自分の映画を完結された作品ではなく,〈現在進行形の映画〉と呼ぶ)の試み(《男性・女性》1966),〈歴史の証言者〉としての実在の人物の引用(《女と男のいる舗道》における哲学者のブリス・パラン,《軽蔑》(1963)における映画監督のフリッツ・ラング,等々),そして《小さな兵隊》から《気狂いピエロ》を経て《メイド・イン・USA》に至る7作品までが当時のゴダールの妻で,彼にとって〈永遠のヒロイン〉であり〈狂気の愛〉であった女優のアンナ・カリーナをヒロインにしていることも注目されよう。次いで,67年,9ヵ月後の五月革命の勃発を予言した《中国女》(アンナ・カリーナに次いでゴダール夫人になるアンヌ・ビアゼムスキーが主演)によって,現実をあるがままにとらえる単なる〈実写〉ではなく,逆に現実を誘発し,惹起(じやつき)するというゴダールの〈ドキュメンタリズム〉はその頂点に達した。また,パリからいなかへ出かける週末の喧騒を描いた《ウィークエンド》では,現代のおとぎ話の形をとった文明批評が車の炎上と虐殺のテーマとともに黙示録的なイメージにまで昇華される。68年5月の動乱以後のゴダールは,〈ゼロに戻って再出発する〉ことを宣言する。ブルジョア文化としての映画の制度,方法,概念,すべてを根底的に廃棄し,五月革命の若き指導者であったダニエルコーン・ベンディットと共同で《東風》(1969)を,マルクス=レーニン主義の思想家ジャン・ピエール・ゴランと共同で《万事快調》(1971)などをつくり,〈ジガ・ベルトフ集団〉を結成して,〈ヌーベル・バーグ〉によって打ち立てられた個人としての〈作家の映画〉の概念を否定し,反ブルジョア的な〈集団映画〉を志向し,マルクス=レーニン主義と階級闘争のテーマを,〈政治映画として撮るのではなく,純粋に政治的に映画化する〉試みを行う。ゴランと決別し,〈ジガ・ベルトフ集団〉の解散後も,〈集団映画〉(あるいは個人としては〈報道の根底的再組織〉をめざす一闘士たること)への志向は持続し,パリを去ってグルノーブルにVTRのスタジオ〈Sonimage〉(音=sonと映像=imageを組み合わせた名称)をつくって,3人目の妻となる思想家・運動家のアンヌ・マリー・ミエビルと共同で,現代の消費社会における性と政治をテーマにしたVTR作品《勝手にしやがれNo.2》(のち《No.2》とのみ改題,1975),パレスチナ革命の思想方法と工作方法をテーマにした《ヒア&ゼア こことよそ》(1976),そしてグルノーブルからジュネーブに居を移してからの《パッション》(1982),《カルメンという名の女》(1983)に至るまで,その試みは続いている。

 しかし,《カルメンという名の女》にはゴダール自身が新しい映画を企画中の映画監督の役で出演して,バスター・キートンの写真集をいつもだいじにもっていたり,ルイス・ブニュエルの映画《それを暁と呼ぶ》(1955)がラストのせりふに使われていたりして,いわば〈映画〉への帰還が予告されている。
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百科事典マイペディア 「ゴダール」の意味・わかりやすい解説

ゴダール

フランスの映画監督。スイス国籍。映画雑誌《カイエ・デュ・シネマ》の批評家出身。長編第1作《勝手にしやがれ》(1959年)は即興演出,大胆な編集など新鮮な作風で,F.トリュフォーらとともにヌーベル・バーグの先頭に立った。以降《女と男のいる舗道》(1962年),《気狂いピエロ》(1965年),《彼女について私が知っている二,三の事柄》(1966年),《ウィークエンド》(1967年),《中国女》(1967年),《ワン・プラス・ワン》(1968年)など,次々と問題作を発表し,1960年代のもっとも重要な映画作家となる。1968年の5月革命以降は〈集団映画〉を志向し,〈ジガ・ベルトフ集団〉を結成して政治と映画の関係を根底から問う作品を製作。のち,スイスに移り,〈音〉と〈映像〉を組み合わせた造語からなる〈ソニマージュ〉というスタジオを作って実験的作品を手がける。1980年代に入ってからは《パッション》(1982年),《カルメンという名の女》(1983年,カンヌ映画祭グランプリ)を製作し,〈商業映画への帰還〉と評された。その後も《ゴダールの映画史》(1989年),《ヌーベルバーグ》(1990年),《ゴダールの新ドイツ零年》(1991年),《ゴダールの決別》(1993年),《JLG/JLG》(1994年),《フォーエバー・モーツァルト》(1996年)など,1作ごとに映画と映画史を問い直す作品を精力的に発表している。
→関連項目カリーナクラインサークドロンバルドーフラーベルトフベルモンドメルビルレイ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴダール」の意味・わかりやすい解説

ゴダール
Godard, Jean-Luc

[生]1930.12.3. フランス,パリ
[没]2022.9.13. スイス,ロール
ジャン=リュック・ゴダール。フランスの映画監督。1950年代後半から 1960年代にかけて,フランス映画界におけるヌーベルバーグの旗手として活躍した。
フランスで生まれたが,兵役を逃れるためにスイス国籍をとりスイスで育った。パリ大学中退後,『カイエ・デュ・シネマ』誌などに映画批評を書きながら短編映画をつくっていたが,1959年に長編第1作『勝手にしやがれ』À Bout de Souffleを発表。その即興的な演出と大胆な編集,コラージュのような構成は世界に衝撃を与え,一躍ヌーベルバーグの寵児ともてはやされた。続く 1960年代も『気狂いピエロ』Pierrot le Fou(1965)など先鋭的な作品を次々と生み出し世界的な名声を不動のものとする。しかし 1968年の五月革命前後から『イタリアにおける階級闘争』Lotte in Italia(1970)など政治色の強い作品に傾倒し,『万事快調』Tout va bien(1972)を最後に商業映画から離脱。「ソニマージュ工房」Sonimageを設立し実験的小品を制作する。また政治色の濃い作品をテレビを通じて発表。1979年『勝手に逃げろ/人生』Sauve qui peut (La Vie)で再び商業映画に復帰。以後『ゴダールのマリア』Je vous salue,Marie(1984),『ゴダールのリア王』Jean-Luc Godard's King Lear(1987),『ゴダールの決別』Helas pour moi(1993)などを監督。映画の概念を根底から変革した作家と評される。
1987年,1998年セザール賞名誉賞,2002年高松宮殿下記念世界文化賞,2010年アカデミー賞名誉賞など受賞多数。死後,自殺幇助による死去と報じられた。

ゴダール
Godard, Benjamin (-Louis-Paul)

[生]1849.8.18. パリ
[没]1895.1.10. カンヌ
フランスの作曲家。パリ音楽院に学ぶ。初めシューマンに興味をもち,数多くの歌曲,ピアノ曲を書いたが,1878年劇的交響曲『ル・タッス』がパリ市音楽コンクールに入賞,その後,数多くのオペラを書き『酒保商人』は,当時成功を収めた。有名な『ジョスランの子守唄』は,彼のオペラ『ジョスラン』 (1888) のなかの1曲である。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ゴダール」の解説

ゴダール

フランスの作曲家、ヴァイオリニスト。ヴァイオリンをリシャール・アメル、アンリ・ヴュータンに師事。14歳でパリ音楽院に入学し、作曲をアンリ・ルベールに学ぶ。
シューマンに傾倒し〈子供の情景〉を管弦楽用に ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典(旧版)内のゴダールの言及

【勝手にしやがれ】より

…1959年製作のフランス映画で,〈ヌーベル・バーグ〉の金字塔的作品となったジャン・リュック・ゴダール監督の長編映画第1作。自動車泥棒と警官殺しの犯人であるアナーキーな青年が,恋人のアメリカ娘に密告され警官に射殺されるまでを,原題(《息切れ》)そのままに鮮烈に息せき切ったリズムで描く。…

【気狂いピエロ】より

…1965年製作のフランス映画。〈ヌーベル・バーグとはゴダール・スタイルのことだ〉とジャン・ピエール・メルビル監督にいわしめた衝撃のデビュー作《勝手にしやがれ》(1959)以来,映画の文法や概念そのものを覆しつつ,映画とは何かを問い続けてきたジャン・リュック・ゴダール監督の9本目の長編作品である。漫画本から詩,絵画,哲学,ミステリー小説,映画等々に至る無数の引用に彩られた〈ゴダール・スタイル〉の頂点ともいうべき作品で,《芸術とは何か,ジャン・リュック・ゴダール?》と題する長い賛辞をこの映画にささげた詩人のルイ・アラゴンによって,絵画の〈コラージュ〉に匹敵する映画として評価された。…

【シネマ・ベリテ】より

…カメラの前で現実の人間に〈真実〉を語らせるというシネマ・ベリテの方法は,ルーシュの手持ちカメラと社会学者エドガール・モランのインタビューを通して1961年の夏のパリの〈状況〉を生々しくとらえた《ある夏の記録》,そして同じ方法で62年5月のパリの〈状況〉を生々しくとらえたクリス・マルケルの《美しき五月》をへて,やがてテレビのインタビュー番組やドキュメンタリー番組の方法に移行し,一般化し,風化していくことになる。しかし他方では,ジャン・リュック・ゴダールが劇映画のなかにカメラを目撃者として生の人間にインタビューを行うというシネマ・ベリテの方法を採り入れて衝撃的な成果をあげたことも注目される。 シネマ・ベリテは,新しいドキュメンタリー映画の方法=運動として,ジャン・ルーシュの映画のカメラマンをつとめたカナダ人のミシェル・ブローを通じてカナダにも広がっていく。…

【ヌーベル・バーグ】より

…58年には14人,59年には22人の新人監督が長編映画の第1作を撮るという,かつてない激しい映画的波動がわき起こり,さらに60年には43人もの新人監督がデビュー,アメリカの雑誌《ライフ》が8ページの〈ヌーベル・バーグ〉特集を組むに至って,世界的な映画現象として認識されることになった。 こうしたフランス映画の若返りの背景には,国家単位で映画産業を保護育成する目的で第2次世界大戦後につくられたCNC(フランス中央映画庁)の助成金制度が新人監督育成に向かって適用されたという事情があるが,その傾向を促すもっとも大きな刺激になったのが,山師的なプロデューサー,ラウール・レビRaoul Lévy(1922‐66)の製作によるロジェ・バディムRoger Vadim(1928‐ )監督の処女作《素直な悪女》(1956)の世界的なヒット,自分の財産で完全な自由を得て企画・製作したルイ・マルLouis Malle(1932‐95)監督の処女作《死刑台のエレベーター》(1957)の成功,そしてジャン・ピエール・メルビル監督の《海の沈黙》(1948)とアニェス・バルダ監督の《ラ・ポワント・クールト》(1955)の例にならった〈カイエ・デュ・シネマ派〉の自主製作映画の成功――クロード・シャブロルClaude Chabrol(1930‐ )監督の処女作《美しきセルジュ》(1958),フランソワ・トリュフォー監督の長編第1作《大人は判ってくれない》(1959),ジャン・リュック・ゴダール監督の長編第1作《勝手にしやがれ》(1959)――であった。スターを使い,撮影所にセットを組んで撮られた従来の映画の1/5の製作費でつくられたスターなし,オール・ロケの新人監督の作品が次々にヒットし,外国にも売れたのであった。…

※「ゴダール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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