コーサンビー(読み)こーさんびー(英語表記)Damodar Dharmānand Kosambī

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コーサンビー」の意味・わかりやすい解説

コーサンビー
こーさんびー
Damodar Dharmānand Kosambī
(1907―1966)

インドの傑出した数学者、インド古代史家。ゴアに生まれる。優れた仏教学者でハーバード大学客員教授となった父に伴われ1918年渡米、同大学で学ぶ(1925~1929)。ベナレス・ヒンドゥー大学(1929~1931)、アリーガル・ムスリム大学(1931~1932)、プネ市のファーガスン・カレッジ(1933~1946)の数学教授を歴任後、新設のタタ基礎科学研究所(1947~1962)に移り、数学、統計学、原子物理学の発展に貢献。他方サンスクリット・テキストの校訂、翻訳に従事し、統計学の適用により考古学の新分野を開拓。史的唯物論によるインド史の解明を試みた。世界平和評議会一員となり平和運動に参加、自立的な思想家として公式マルクス主義とは一線を画した。頭脳明晰(めいせき)、気むずかしく非妥協的な反面ユーモアにあふれた饒舌(じょうぜつ)家であった。

[古賀正則]

『コーサンビー著、山崎利男訳『インド古代史』(1966・岩波書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「コーサンビー」の意味・わかりやすい解説

コーサンビー
Damodar Dharmānand Kosambī
生没年:1907-66

インドの数学者,歴史学者。仏教学者ダルマーナンダの長男としてゴアの農村で生まれ,アメリカのハーバード大学で数学を学び,微分幾何学の第一級の論文をつぎつぎに発表した。インドの諸大学で数学教授を歴任した後,プネープーナ)に居住してファーガソン・カレッジ,タタ基礎科学研究所に勤めた。数学のほか,古代インド打刻印貨幣の統計学的研究,サンスクリット文献写本の批判的研究,マルクス主義によるインド古代史研究,プネー周辺の考古学的・文化人類学的研究など,多方面にわたって先駆的なすぐれた研究を行った。とくに《インド史研究序説An Introduction to the Studies of Indian History》(1956)はインド史を全面的に再検討しその発展につき独創的な見解を述べ,大きな影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コーサンビー」の意味・わかりやすい解説

コーサンビー
Kosambi, Damodar Dharmananda

[生]1907.7.31. ゴア
[没]1966.6.29. プーナ
インドの数学者,歴史家。仏教学者ダルマーナンダの長男。ハーバード大学で数学を学び,若くして位相幾何学研究で名声を博した。北インドの諸大学の教授を歴任したあと,プーナに定住し,数学のほか,サンスクリット文献学,インド古代史,考古学の幅広い分野で独創的な研究をした。マルキストとして知られ,インド独立運動に参加し,独立後は平和運動に従事した。晩年,タタ基礎科学研究所教授をやめたあとは,インド古代史,考古学の著書を著わした。

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百科事典マイペディア 「コーサンビー」の意味・わかりやすい解説

コーサンビー

インドの数学者,歴史学者。米国ハーバード大学で数学を学ぶ。微分幾何学の研究のほか,インド古代史研究で知られる。代表作《インド史研究序説》(1956年)。

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367日誕生日大事典 「コーサンビー」の解説

コーサンビー

生年月日:1907年7月31日
インドの数学者,歴史家
1969年没

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