日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
コンスタンティノス(6世)
こんすたんてぃのす
Konstantinos Ⅵ
(770―797)
ビザンティン帝国皇帝(在位780~797)。レオン4世の長男。父の死後10歳で即位。母エイレーネが摂政(せっしょう)として君臨。彼の治世下、第7回公会議がニカイアに招集され、長期にわたった聖画像崇拝禁止令(730~787)が解かれた。対外的にはアラブ、ブルガリアの侵入に対し高額の貢納金を支払い和平を維持し、国内ではイコノクラスム(聖画像破壊運動)により被害を受けた教会、修道院の再建のため国庫金を費やし、財政は困窮した。一方、成長した青年皇帝は、母の摂政を疎んじるようになり、一時は軍の支持を得て単独皇帝となった(790)。しかし、意志薄弱のうえ、再婚問題で教会の支持を失うに至って孤立。政権欲に駆られた母の手にかかって暗殺された。
[和田 廣]